きっかけは、違和感と好奇心だった。
日本でエンジニアとして何年か働いてきた僕は、いわゆる「安定コース」に乗っていた。C#とWPFを中心に、上流設計から実装、保守まで一通りこなせる中堅どころのポジション。チームでは頼られる場面も増えてきたし、会社からの評価もそこそこ。
一見すると、何も問題はなかった。むしろ順調だった。だけど、どこか引っかかっていた。
それは、「このまま10年後、何をしてるんだろう?」という違和感。
技術は好きだったし、チームにも不満はなかったけど、周りと同じように昇進して、年収が少しずつ上がって、でもそれ以上の大きな変化は起きなさそうな将来がぼんやり見えてきていた。
そこでふと頭をよぎったのが、「海外で働く」という選択肢だった。
**英語力は? 自信ゼロ。
実務経験? 日本オンリー。
海外の人脈? もちろん皆無。**
でも、好奇心だけはあった。
そしてもう一つ。自分のキャリアに**“明らかな加速”**がほしかった。
ちょうどその頃、LinkedInで偶然見かけたアメリカのIT企業の投稿が、妙に心に刺さったんです。
“We don’t just hire developers. We hire builders who want to make impact.”
「Impact(インパクト)」。日本ではあまり聞かない言葉だな、と思った。だけど、なんかカッコよかった。
「俺、今“インパクト”ある仕事してるか?」と考えたとき、正直に言えば答えはNoだった。
初めての情報収集。世界が開き始めた。
そこからは、空いた時間で海外就職について調べまくった。
参考にしたのは以下のサイトやSNS:
- Stack Overflow Jobs(旧) → 現在は一部 RemoteOK や Wellfound
- Glassdoor
- H1B Salary Database
- Reddit(特に /r/cscareerquestions、/r/japanlife)
- YouTube:海外ITエンジニアのVlog
- LinkedIn(英語圏のプロのプロフィール分析)
英語が得意ではなかったから、最初は読むのも一苦労。けど、翻訳アプリとGoogle先生が味方だった。
特に、「海外企業がどんなエンジニアを求めてるのか」を読み解くのは、まるで異世界のルールブックを手にするような感覚だった。
たとえば、”self-starter” とか “cross-functional team experience” とか、日本ではあまり重視されないスキルや姿勢が評価されていることに気づいた。
“実力主義”の正体にワクワクした。
日本のエンジニア文化と比べて、アメリカのIT業界には「成果で語る」雰囲気があった。
それが逆に心地よかった。「年齢」や「学歴」より、「何を作ったか」「どう貢献したか」が大事にされる世界。
これは僕にとって“居場所”になるかもしれない。
そう思ったとき、具体的にアクションを起こすことに決めた。
最初の一歩は、「英語で自分の職務経歴書(Resume)を書いてみること」。
これがまあ難しい。単語だけじゃなく、文化の違いが文章に出るんですよね。
「謙遜」より「主張」、「過程」より「成果」。
でも、そのプロセスの中で少しずつ、自分の中のエンジニア像が変わっていくのを感じた。
ただの開発者から、“価値を創る人間”になっていくような感覚。
チャンスは突然やってきた。そして、全力でつかんだ。
英語で話すのが怖い。でも、逃げずにやってみると…。
Resumeを書き上げた僕は、LinkedInやWellfound(旧AngelList)などで、英語圏のスタートアップやミドルサイズの企業を中心に、応募を始めた。
正直、最初は返信なんて来るわけがないと思ってた。英語もネイティブじゃないし、勤務地も日本だし。
でも、1週間後、まさかの返信が来た。
“Hi! Your experience in WPF and UI architecture is interesting. Can we set up a quick intro call?”
目を疑った。
アメリカ西海岸の小規模SaaS企業のCTOからのDMだった。
まさに、今この会社が作っているのは業務用のデスクトップアプリで、WPF経験者がチームにいないから手を借りたい、とのこと。
Zoom面接1回目:緊張で震えたが、ちゃんと伝わった。
指定された日時に、Zoomを開く手が汗びっしょり。
時差は17時間。こちらは深夜、向こうは朝の始業時間。
緊張の中、CTOともう一人のエンジニアが画面に現れた。
自己紹介、過去のプロジェクトの説明、特にWPFアプリでどんなUI/UX設計をしてきたかを聞かれた。
言いたいことを言おうとして単語が詰まったり、「あれ、英語でなんて言うんだっけ?」と頭が真っ白になった場面もあった。
でも、彼らは急かさなかった。
むしろ、「Don’t worry about perfect English. Your code speaks too.」と笑ってくれた。
コーディングテストよりも「設計」の視点が求められた。
次のステップは、簡単なテスト課題。
WPFでミニダッシュボードアプリの設計書とサンプル画面を提出するというもので、実装より設計思想が重視された。
僕は日本の業務システムでやってきたように、
- MVVMでのデータバインディング構成
- テンプレートの使い方(DataTemplateやControlTemplate)
- ViewとViewModelの分離の工夫
- ローカライズや多言語対応の拡張性
などをドキュメントとコードで提出した。
結果、すぐにフィードバックが届いた。
“Your approach is clean and scalable. You obviously know how to build enterprise-level WPF apps.”
まさか、自分の仕事がそんな風に評価されるとは思っていなかった。
条件交渉:アメリカの”働き方”にカルチャーショック。
その後、CTOから「Join us as a contractor(契約社員)」という提案が来た。
まずはリモート契約で数ヶ月トライアル→ビザサポート検討という流れ。
ここで日本との働き方の違いが見えてきた:
| 項目 | 日本 | アメリカ(今回のケース) |
|---|---|---|
| 雇用形態 | 正社員メイン | 契約スタートも一般的 |
| 評価基準 | 上司の評価・社歴 | 成果とプロジェクト貢献度 |
| ワークライフバランス | 残業前提が多い | 成果さえ出せば勤務時間は自由 |
| 給与交渉 | あまりしない文化 | 初期提示に対しての交渉が前提 |
「希望年収は?」と聞かれたとき、日本的な遠慮が出そうになったけど、思い切って自分の希望を英語で伝えたら、
“Thanks for being clear. That’s fair for your experience level.”
とあっさりOK。
働き方の自由と責任は、想像以上だった。
最初の契約が始まったとき、正直不安だった。
時差対応、すべて英語のSlackチャンネル、毎週のオンラインスクラム。
でも、WPFという技術ドメインでは確実に自分が”強みを持つ人材”だった。
- デザインパターンの選定
- 既存コードのリファクタ提案
- カスタムコントロール化の推進
これらが少しずつ評価され、チーム内で「アーキテクチャ系の相談はこの人に」というポジションに変わっていった。
“日本で培った技術”が、国境を越えて武器になった瞬間だった。
僕がやってきたことは、決して特別ではなかった。
でも、アメリカの職場では、それが強みになった。
むしろ、地道で丁寧な設計こそが、短期決戦型の海外スタートアップでは重宝された。
成果主義の裏側と、戦うための“武器”を手に入れるまで。
「いい人」でいるだけでは、生き残れない。
アメリカの開発チームに入って数ヶ月。WPF設計で感謝されたり、Slackで名前が出たりしていた僕は、少しずつ「やれてる感」を持ち始めていた。
でも、その余裕は突然崩された。
ある日、プロダクトマネージャー(PM)からのフィードバックミーティングで、衝撃の一言をもらった。
“You’re not communicating enough. We need more visibility into your work.”
え? 進捗はGitで毎日Pushしてるし、Slackにも報告してるし、何が足りないの?
そう思った僕は、日本での「報告・連絡・相談」の感覚で動いていたことに、ここでようやく気づいた。
アメリカの開発チームでは、
- 進捗だけでなく、プロセスの思考も共有すること
- 「今何を考え、何を試して、何に詰まっているか」をリアルタイムでオープンにすること
が信頼につながる。
つまり、「結果より途中経過の“見える化”」がないと、「仕事してる感」が伝わらない。
文化の違いが“誤解”を生む。
さらに別の日、別の国のエンジニアとコードレビューで意見がぶつかった。
僕のレビューコメントは丁寧に書いたつもりだった。
「この書き方は将来の拡張性に課題があると思います。こういう書き方はいかがでしょうか?」
でも、返ってきたのはこうだった:
“Just say it directly. Are you saying my code is bad?”
……ええ?そんなつもりじゃ…。
この経験を通じて学んだのは、遠回しな指摘=曖昧=不信感につながるということ。
アメリカやヨーロッパでは、「率直さが誠実さ」とされる文化がある。
日本式の「気を遣ってやんわり言う」は、海外では逆に**“信用してない”サイン**になる場合もある。
英語ではなく、“伝え方”の再設計。
この頃から、僕は以下の点を意識してコミュニケーションスタイルを変えた:
✅ 結論から言う
→「I believe this part can be improved by…」で始める
→ その後に理由・背景を簡潔に補足
✅ 詰まった時は即共有
→ Slackで「I’m stuck with binding context. Any thoughts?」と投げる
✅ 成果物だけでなく、プロセスを見せる
→ 「今この2案で迷っていて、どちらが将来的にメンテしやすいか議論したい」
すると少しずつ、周囲の反応が変わってきた。
「Thank you for being more transparent」
「Your explanation helped our junior devs a lot」
成果物は変わっていないのに、“伝え方”を変えただけで評価が変わる。
これは僕にとって、設計スキル以上に衝撃だった。
「価値を見せる力」が、海外で生きる鍵だった。
その後、プロダクトの大規模UIアップデートのリードに任命されたとき、僕は最初の頃のような“物静かな日本人エンジニア”ではなかった。
- 毎週のデモで、意図や設計意図を英語でプレゼン
- チームメンバーのコードレビュー時には、感謝+提案を明確に伝える
- PMとのやりとりでも、「技術的に可能/不可」をはっきり伝える
この姿勢が評価され、アメリカ企業の「本採用契約」へのステップアップにもつながった。
でも、メンタルは揺れる。孤独との戦い。
順調に見えるキャリアの裏で、僕には「話し相手がいない」日も多かった。
日本との時差、英語でのやりとりによる疲労、ちょっとした誤解でモヤモヤする夜。
何より、「自分はこの世界でちゃんとやれてるのか?」という不安が、ふとした瞬間に襲ってくる。
そんなとき、支えになったのは同じように海外で働いている日本人エンジニアとのつながりだった。
Slackコミュニティ、Discord、X(旧Twitter)のDM。
「それ、僕も最初めっちゃ言われた!」
「文化の違いキツいけど、ちゃんと見てる人は見てくれてるよ。」
共感のひと言が、どれだけ心に効いたか。
エンジニアは「コードを書く人」じゃなく、「価値を創る人」。
アメリカで働き始めて半年。
僕が気づいたのは、「技術力」と同じくらい重要なのは、
- 見える化する力
- 他者と繋がる力
- 言葉で価値を届ける力
だったということ。
コードが書けるのは当たり前。
どう伝えるか、どう説明するか、どう巻き込むかで、同じ実力でもアウトプットが大きく変わる。
キャリアの“限界”を超えたとき、人生の選択肢が広がっていた。
プロジェクト成功。その先に待っていた“新しい問い”。
WPFの大規模UI刷新プロジェクトは、3ヶ月のスプリントを経て無事リリースを迎えた。
KPIは想定以上、ユーザーからのフィードバックも上々、営業チームも「プレゼンしやすくなった」と喜んでくれた。
プロダクトオーナーからはこんな言葉をもらった。
“Your structured thinking and attention to design details made this a success.”
このとき初めて、「日本で磨いてきた丁寧な設計の癖」が、海外チームの中で明確な差別化要素として認識されたと実感できた。
でも、そこで終わりではなかった。
むしろここから、「次にどんな挑戦をするのか?」という新しい問いが僕の中に芽生えた。
自分の“タグ”を、自分で選び直せる世界。
日本で働いていた頃、僕のキャリアは「WPFエンジニア」「社内業務システムのスペシャリスト」としてほぼ固定されていた。
役割は会社が決め、異動も社内調整の上で割り振られる。
でも、アメリカではまったく違った。
プロジェクト後のフィードバックの場で、上司からこう言われた。
“You could consider expanding to product design or mentoring juniors. Interested?”
自分で専門性を横展開する道を選べるのだ。
- UI/UX設計にもっと踏み込む?
- 開発者教育にチャレンジする?
- PM的な橋渡し役を担ってみる?
「これしかできない」ではなく、「自分で可能性を拡張していける」という感覚。
この“選択肢の広がり”こそ、僕がアメリカで得た最大のギフトだった。
年収も、働き方も、自分で“交渉できる”という事実。
リリース後、会社から本採用(フルタイム+ビザスポンサー)を提案された。
その時もまた、日本との違いに驚かされた。
☑ 給与は「前例」ではなく「相場+交渉力」で決まる。
→ 自分の貢献度を元に、LinkedInで同レベル職の給与を調査。希望額を提示し、交渉成立。
☑ リモートかオフィスか、自分のライフスタイルに合わせて選べる。
→ 僕はフルリモートを継続。時差はあるけど、生産性と生活のバランスがベストだった。
☑ 働きながらスキルチェンジ・転職もキャリア構築の一環。
→ 転職は裏切りではない。むしろ「成長の証」として評価される風土がある。
日本ではまだ珍しい「キャリアの自己マネジメント」が、ここでは前提だった。
本当の意味での“プロフェッショナル”に触れた。
アメリカの開発チームには、本当に多様な人がいた。
年齢も、国籍も、学歴もバラバラ。
- 元バーテンダー → 独学でフルスタックエンジニア
- アフリカの大学出身 → ドイツのスタートアップ経由で米国へ
- 子育てと両立しながら働くリモートママエンジニア
彼らに共通していたのは、「肩書き」ではなく「価値」で語る姿勢。
そして、「他者と協働してより良いものを創る」ことに誇りを持っている点だった。
自分もそんな“プロフェッショナルの一員”になれた気がした。
今、キャリアの「地平線」が遠くまで見えている。
かつて、僕のキャリアは会社という地図の上にあった。
今は、世界そのものがキャンバスになった。
- 次はグローバルなチームのTech Leadを目指してみたい
- 日本と海外の橋渡し役としてクロスカルチャーPMをやってみたい
- 技術と社会課題をつなぐプロジェクト(教育×テック、地方創生など)にも興味が出てきた
ひとつのチャンスが、視点と野望を大きく変えた。
そして、それを可能にしたのは「海外に飛び出してみる」という小さな決断だった。
まとめ:僕がアメリカで得たもの。これから海外を目指すあなたへ。
海外で働くというのは、**「キャリアの加速装置」**になる。
それは収入だけの話ではなく、
- 思考の枠が壊される
- 選択肢が増える
- 自分を定義し直す自由がある
という、もっと根本的な変化をもたらしてくれる。
もちろん簡単ではない。
英語、文化の壁、時差、孤独。
でも、その先には、自分の人生を“自分でデザインする”という醍醐味がある。
最後に、これから海外を目指すエンジニアのあなたに伝えたいこと:
今のスキルのままでも、世界は思っている以上に“あなた”を待っている。
英語が完璧じゃなくても、遠慮しないで価値を届けていい。
自分の働き方に、自分で“選択肢”を持っていい。
補足:次のステップを考える人におすすめのアクション5選
- LinkedInを本気で整える(英語での職務経歴)
→ 特に「Summary」「Achievements」を数字・構造化して記述する - 英語での自己紹介+技術解説の練習
→ 録音して、自分の言葉のクセやテンポをチェック - 週1回、海外の開発者と話す機会を作る
→ Discord、Slack、Tech Meetups、Polyworkなどが活用できる - 技術ドキュメントやIssueコメントを英語で書いてみる
→ GitHubのOSS参加は特におすすめ - 海外のジョブポストを“眺める習慣”を持つ
→ 見ているうちに、スキルとキャリアの世界地図が広がる

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