- はじめに
- 「英語力ゼロの不安」が増幅される
- 「技術的な自信」が逆に仇になる
- 「内なる批評家」との出会い
- これから話すこと
- その声の正体を探る
- 心の声は“古い防御システム”
- 「海外」という舞台が増幅装置になる
- 過去の経験が作り上げた批評家
- 「声」を意識した最初のきっかけ
- 敵か味方か
- 次にお話しすること
- その声とどう向き合うか
- ステップ1:声を“ラベル化”する
- ステップ2:小さな「実験」を積み重ねる
- ステップ3:「味方の声」とバランスを取る
- 失敗しても「次のテストケース」と考える
- チームとの関係で得た気づき
- まとめ:声は消せなくても、選べる
- 批評家と共に歩む、その先へ
- 「声」と共に働く日常
- 批評家が“味方”になる瞬間
- 僕が得た3つの教訓
- これから海外で働くあなたへ
- 最後に
はじめに
――頭の中の声、敵か味方か?
海外で働き始めたばかりの頃、毎日のように僕の頭の中でひそひそと声がしていました。
「お前の英語、今の発音変じゃなかった?」
「そんな言い方したら相手に失礼に聞こえるんじゃない?」
「本当にこの設計レビューで通用すると思ってるの?」
まるで頭の中に小さな「もう一人の自分」が住んでいて、四六時中ダメ出しをしてくる感じです。僕はその存在を“心のささやき”と呼んでいました。表面上は冷静を装っていても、心の奥ではいつもこの声に揺さぶられていたんです。
この声の正体は、いわゆる「内なる批評家(inner critic)」。心理学では誰もが持つ自然なメカニズムと言われています。けれど当時の僕にとっては、ただただ厄介な存在でした。新しい環境で戦うどころか、自分の内側から足を引っ張られるような感覚。海外エンジニアとして挑戦しているはずなのに、戦う相手は同僚でも上司でもなく、“自分自身”だったんです。
「英語力ゼロの不安」が増幅される
僕が最初に海外で働き始めたのは、大手のグローバル企業でした。C#とWPFを使ったデスクトップアプリのUI設計開発を担当していて、技術的にはある程度自信がありました。国内では要件定義からUIの設計、コードレビューまで、しっかりやってきた経験もあったので「エンジニアとしての実力は通用する」と思っていたんです。
でも、英語となると話は別。
初日のスタンドアップミーティングから、頭の中の声はフル稼働しました。
「今の自己紹介、短すぎたんじゃない?」
「‘I’m working on UI improvement’って言ったけど、ほんとはもっと細かく説明しなきゃいけなかったんじゃ?」
「みんな本当は心の中で笑ってるんじゃないか?」
別に誰もそんなこと言っていないのに、頭の中の声が勝手に“妄想の批評”を始めるんです。気づけば会話が終わった後も「言い回しを間違えたかも」「文法を落としたかも」と延々とリプレイしてしまう。まるでバグだらけのコードを無限にデバッグしているような感覚でした。
「技術的な自信」が逆に仇になる
面白いことに、技術的に自信がある部分ほど、その声は強く響きました。
例えばコードレビュー。国内の現場ではレビューをリードする立場だったので、指摘するのもされるのも慣れていました。でも海外では、英語で説明しなきゃいけない。
「このクラスの設計はSingle Responsibility Principleに反している」
「ここのBindingは冗長だからもっとシンプルにできる」
日本語ならサクッと言えることも、英語だと頭の中で文を組み立てているうちに遅れてしまう。その間に例の声がささやくわけです。
「今の間、みんな ‘こいつ何も言えないな’ って思ったよ」
「お前が発言する前に、もう別の人が同じ指摘を言っちゃったじゃん」
その瞬間、僕の中の自信はどんどん削られていきました。
「内なる批評家」との出会い
あとから振り返ると、この“心の声”は完全に僕の「内なる批評家」でした。心理学者たちは、これは自己防衛のために生まれた仕組みだと言います。失敗しないように、周囲から拒絶されないように、頭の中で事前に警告を出してくれている。
でも、実際のところはどうでしょう?
その声に振り回されて、行動が遅れたり、発言を飲み込んだり、自分の実力を出せなかったり。結果的に「守られる」どころか「損している」ケースがほとんどだったんです。
ここで僕は初めて気づきました。
――敵は英語の難しさや海外の文化ではなく、まずは“自分の中にいる小さな批評家”なんだと。
これから話すこと
この「内なる批評家」、つまり心のささやきは、単なるマイナス要素ではありません。時には成長を促すヒントにもなるし、うまく付き合えば強い味方にもなり得る存在です。
その声の正体を探る
頭の中の“もう一人の自分”。四六時中ダメ出ししてくる内なる批評家。
前回お話ししたとおり、僕はこの声にずっと悩まされていました。英語で話すとき、設計レビューの場で発言するとき、さらにはメールを1通送るだけでも「文法間違ってない?」「伝わらなかったら恥ずかしいぞ」と囁いてくる。
ただ、ある時ふと思ったんです。
――この声、そもそもどこから来たんだろう?
「自分はただ自信がないだけ」そう思い込んでいたけれど、実はもっと根深い仕組みが隠れていました。
心の声は“古い防御システム”
調べてみると、この内なる批評家は僕だけのものではありません。誰もが持っている、ごく自然なものらしいんです。
心理学では、人間の脳には“危険察知システム”が備わっていると言われます。原始時代、もし自分が群れから浮いてしまえば生存の危機に直結しました。だから「目立ちすぎるな」「間違えるな」「失敗するな」という内なる警告は、生き残るための本能だったんです。
ところが現代社会では、ライオンに襲われる代わりに「同僚に笑われる」「英語を間違える」といった社会的リスクにすり替わっています。脳にとってはどちらも“危険”。だから僕たちの中の小さな批評家は、必死に警報を鳴らし続けているんです。
「海外」という舞台が増幅装置になる
ここで問題なのが、舞台が“海外”だということ。
母国語じゃない英語での会話。文化的に違う価値観。自分だけが「アウェイ」だと感じる空気。これらが全部、批評家の声を何倍にも大きくするんです。
例えば、ある日のチームミーティング。僕はUIの設計方針について説明しようとしました。
「This approach is more maintainable in the long term because…」
と切り出した瞬間、言葉が詰まってしまった。
頭の中で翻訳を組み立てているうちに、横から別のエンジニアが発言。議論が流れてしまった。
そのとき、内なる声が叫びました。
「ほら見ろ!お前がモタつくからチャンスを逃した!」
「英語が下手だから信用されないんだ!」
実際には誰もそんなこと言っていません。むしろ同僚は「続けていいよ」と促してくれたんです。でも僕の耳には、その優しさよりも批評家の声の方がずっと大きく響きました。
過去の経験が作り上げた批評家
振り返ってみると、この声のルーツはもっと昔にありました。
日本で働いていた頃、僕は「ミスをしないこと」「完璧に仕上げること」が当たり前の文化で育ってきました。コードレビューでは指摘を受ければ凹み、プレゼンでは噛めば自己嫌悪。そんな経験が積み重なる中で、いつの間にか僕の中に“厳しすぎる監督”が住みついたんです。
海外に出て環境が変わったことで、その監督の声がさらに強くなった。新しい言語、新しい文化、新しいルール。すべてが未知数だからこそ、「失敗するな!」「間違えるな!」という声が倍増したんです。
「声」を意識した最初のきっかけ
ある時、社内のメンタリングプログラムに参加しました。メンターは経験豊富なカナダ人のシニアエンジニア。彼に僕の悩みを正直に打ち明けたんです。
「英語が下手で、自信がなくて、発言する前に頭の中でブレーキがかかる」
すると彼は笑って言いました。
「それ、君だけじゃないよ。僕たちだって新しい国に行けば同じだ。頭の中で ‘Don’t mess up’ って声がするんだ」
その言葉を聞いたとき、少し肩の力が抜けました。自分だけの問題じゃなく、人間なら誰でも持つものなんだと理解できた瞬間でした。
敵か味方か
ここで大事なのは、この声を「完全に消そう」と思わないことだと気づきました。
批評家はもともと僕を守ろうとしている。つまり、完全な敵ではないんです。問題は、その声に操られてしまうこと。行動できなくなること。
逆に言えば、声の存在を認識して、うまく距離を取れば、味方にもできる。
例えば、リスクを事前に考えるときや、設計の穴を見つけるとき。この声が小さくアラートを鳴らしてくれるのはむしろ役立ちます。
次にお話しすること
ここまでで分かったのは、
- 内なる批評家は誰もが持つ“防御システム”である
- 海外という舞台がその声を増幅する
- 敵にも味方にもなり得る
その声とどう向き合うか
ここまでで話してきたように、僕の頭の中にはいつも「失敗するな」「英語下手だと思われるぞ」と囁く批評家がいました。
その声に押されて発言をやめたり、自信を失ったりすることも多かった。
でも、ある時から少しずつ“距離を取る”ことを覚えました。批評家を完全に消すことはできない。だからこそ、「味方につける」感覚で付き合うようになったんです。
ステップ1:声を“ラベル化”する
最初にやったのは、その声をただの「現象」として捉えること。
たとえば会議で発言前に、頭の中で「間違えるなよ」と声がしても、すぐに反応しないようにしました。
代わりに心の中でこうラベルを貼るんです。
「はいはい、出ました。これは ‘批評家ボイス’ ね」
まるでSlackの通知が鳴ったときに「これは重要」「これは雑談」と仕分けするような感覚。ラベルを貼ると、不思議とその声に飲み込まれにくくなりました。
心理学ではこれを「メタ認知」と呼ぶらしいです。声を“自分そのもの”ではなく“頭の中の現象”として見られるようになると、グッと楽になるんです。
ステップ2:小さな「実験」を積み重ねる
次に試したのが、あえて批評家の声に逆らって「小さな挑戦」をすることでした。
例えば、英語でのデイリースタンドアップ。
声はいつもこう囁きます。
「シンプルに言いすぎたら ‘lazy’ と思われるぞ」
「文法が崩れたら ‘unprofessional’ に聞こえるぞ」
でもその日はあえて、シンプルに言ってみました。
「Yesterday I fixed the binding issue. Today I’ll continue testing.」
結果はどうだったか?
誰も笑わなかったし、逆に「Good, thanks for the update」と返してくれただけ。
ここで気づきました。
――批評家の声は予言じゃない。ただの“可能性”にすぎない。
それ以来、「声が止めてくることをあえてやってみる」という小さな実験を続けました。レビューで意見を一言だけ言ってみる。プレゼンで質問してみる。メールを少し砕けた表現で書いてみる。
やってみると、9割は大丈夫。むしろ「発言してくれて助かった」と感謝されることも増えました。
ステップ3:「味方の声」とバランスを取る
内なる批評家の声を弱めるもう一つの方法は、“もう一人の声”を育てることでした。
メンターに教わった方法は「セルフ・コンパッション」。簡単に言えば“自分に優しく話しかける”ことです。
例えば会議で言葉が詰まったとき。
以前なら「なんで言えないんだよ!情けない!」と自分を責めていました。
でも今はこう言うようにしています。
「まあ、第二言語なんだから詰まるのは普通だよ」
「相手は君の発音じゃなくて、内容を聞いてるんだよ」
最初は気恥ずかしかったけれど、これを繰り返すと本当に楽になります。批評家の声が10だとしたら、味方の声を5でも育てれば、だいぶバランスが取れるんです。
失敗しても「次のテストケース」と考える
もちろん、全部うまくいったわけじゃありません。
大事なプレゼンで質問に答えられず沈黙したこともあります。
レビューで英語が出てこず、結局黙ってしまったこともあります。
でも、そのたびにこう思うようにしました。
「これは失敗じゃなく、次のテストケースだ」
エンジニアはバグを出したら修正して再テストしますよね。英語やコミュニケーションも同じ。失敗したら学習して次に生かせばいい。そう考えると、批評家の声に過剰に引っ張られずに済むようになりました。
チームとの関係で得た気づき
一番大きかったのは、周りの仲間が“思った以上に優しい”という事実でした。
僕が英語に詰まっても「Take your time」と待ってくれる。
レビューで意見が遅れても「Good point」と受け止めてくれる。
つまり、批評家が描いていた「最悪のシナリオ」は、ほとんど現実にならなかったんです。
逆に、自分が発言を控えてしまう方が、チームにとってマイナスでした。
この気づきがあってから、僕は批評家の声がしてもこう考えるようになりました。
「OK、心配してくれてありがとう。でも今は言うよ」
まとめ:声は消せなくても、選べる
- 批評家の声は消そうとしなくていい
- その声に“ラベル”をつけて距離を取る
- 小さな実験で「大丈夫だった」を積み重ねる
- 味方の声を育ててバランスを取る
これで初めて、批評家の声を“管理”できるようになりました。敵ではなく、時にアラートをくれる存在として扱えるようになったんです。
批評家と共に歩む、その先へ
ここまで話してきた“内なる批評家”――頭の中の小さな声は、僕にとって長い間「敵」でした。
英語での不安を煽り、自信を削り、挑戦の足を引っ張る存在。
けれど今は、その声と“共存”しています。完全に消そうとは思っていません。むしろ、その声があるからこそ気づけることもある。問題は、その声をどう扱うかなんです。
「声」と共に働く日常
今では、批評家の声が聞こえても慌てなくなりました。
たとえば大きなプレゼンの直前、必ず囁いてきます。
「準備不足じゃないか?」
「質問に答えられなかったらどうする?」
以前なら心臓がバクバクして固まっていました。
でも今は、「ありがとう、リスクチェックね」と受け止める。
その上で、「でもここまで準備したから大丈夫」と味方の声で上書きする。
結果的に、緊張しつつも自分の言葉で話せるようになりました。
同じように、コードレビューの場でも批評家は現れます。
「その説明、文法合ってる?」
「相手にちゃんと伝わる?」
でも僕はもう、それを止める理由にはしません。
「多少文法が崩れても、意図は伝わる」
「レビューは完璧な英語の発表会じゃない、建設的な議論の場だ」
そう割り切れるようになったんです。
批評家が“味方”になる瞬間
面白いことに、最近では批評家の声が実際に役立つ場面も増えてきました。
例えば、設計のディスカッションで「この方法で本当に拡張性は足りるか?」と囁かれるとき。以前ならただ萎縮して終わっていたけれど、今は「あ、そこをチェックすべきなんだな」と捉えられる。
結果的に、「じゃあ別のパターンも検討しよう」と前向きな議論に繋げられるようになりました。
つまり批評家は“ブレーキ役”でありつつ、使い方次第で“セーフティセンサー”にもなるんです。
僕が得た3つの教訓
海外で働きながら、この声と向き合ってきた中で得た学びを3つにまとめます。
- 批評家の声は“事実”ではない
それはあくまで可能性の一つ。頭の中でシミュレーションしているだけ。現実は大抵もっと優しい。 - 声を消そうとするのではなく、ラベルを貼る
「これは批評家の声」と切り離して捉えると、振り回されにくくなる。 - 小さな挑戦の積み重ねが信頼を生む
批評家の声に逆らって行動するたびに「大丈夫だった」が増え、それが自信のストックになる。
これから海外で働くあなたへ
もしあなたがこれから海外で働くなら、きっと同じような声を聞くことになると思います。
「本当に通じるかな?」
「変に思われないかな?」
「自分なんかで大丈夫かな?」
大丈夫です。僕もずっとそうでした。
でもその声は、あなたをダメにするためのものじゃなく、“守ろう”としているだけなんです。
だから、もし声がしたら、こう返してみてください。
「ありがとう。でも今回は挑戦してみるよ」
それだけで、一歩前に進めます。
最後に
“内なる批評家”は敵にも味方にもなる存在。
僕たちはその声を消すことはできない。けれど、どう扱うかは選べる。
海外で働くという挑戦は、外の世界と戦うだけじゃなく、自分の内側とも戦う旅です。
その旅の中で、批評家ともうまく付き合えるようになれば、必ずあなたの力になる。
結局のところ――頭の中の声は、敵ではなく“パートナー”だった。
そう思える日が、必ずやってきます。

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