「日本人エンジニアが“空気を読みすぎる”ときに失うものとは?」

自分を出すことと、空気を読むことのバランス

  1. 「君は、何を考えているの?」──黙っていた“優しさ”の代償
    1. “空気を読む”は、海外では“意見がない”と見なされる
    2. 自分の意見を「言わない」ことが招いたミス
    3. 「出すこと」は、相手のためにもなる
    4. 「空気を読む」は、海外では“壁”になることがある
  2. 「意見を言ってくれて、助かったよ」──沈黙から信頼へ
    1. 自分の“意見”が、プロジェクトの転機をつくった日
    2. 発言の“勇気”が、チームの信頼をつくる
    3. “自己主張”は、相手を否定することじゃない
      1. 以前の僕:
      2. 今の僕:
    4. 「言い方」は、スキルとして身につけられる
    5. 言葉の“壁”より、自分の“壁”が一番高かった
  3. “黙る優しさ”と“伝える責任”の境界線
    1. 意見を言わなかったことで起きた“すれ違い”
    2. 「自己主張しすぎる」人もいる現場で学んだこと
    3. “空気を読む”は、国境を越えると“わかりづらさ”になる
    4. 「自分を出す」と「出しゃばる」の違いはどこにあるのか?
    5. 日本人としての強みを活かすには
  4. “伝えた勇気”が、チームを変えた。自分も変えた。
    1. 伝えた一言が、信頼のスタートだった
    2. 沈黙をやめたことで得た「チームの一員感」
    3. 「空気を読まない」ではなく、「空気の中で声を出す」
    4. “意見を持つ日本人エンジニア”は、世界の現場で重宝される
    5. まとめ|“黙ること”は、優しさとは限らない

「君は、何を考えているの?」──黙っていた“優しさ”の代償

「Hiro, do you agree with this direction?」

チームのミーティングで、リーダーのCarlosにそう聞かれたとき、僕はとっさにこう答えた。

「Yes, it’s fine. I think that’s okay.」

でも、心の中ではこう思っていた。

(いや、本当はちょっと違うと思うんだけどな……でも、ここで反対して空気悪くするのもな……)

話を止めたくなかった。チームの流れを乱したくなかった。
日本では、こういう「空気を読む」判断はごく普通のことだった。

けれど、会議が終わった後、CarlosがSlackで個別にメッセージをくれた。

“Hey, just checking—do you really agree? You looked unsure.”

ああ、見透かされてる。
僕は英語が下手なだけじゃなく、「自分の考え」を伝えないクセも一緒に持ち込んでしまっていた。


“空気を読む”は、海外では“意見がない”と見なされる

日本でエンジニアをやっていたとき、チーム内では「和を乱さない」「あえて主張しない」が美徳だった。議論が白熱していても、誰かが「まぁまぁ、この辺にしとこう」と言えばそれ以上深掘りせずに終わる。

だけど、海外では違った。

  • 自分の意見がない=理解していない
  • 異論がない=完全同意とみなされる
  • 発言しない=関与していないと思われる

「ちゃんと考えているのに言わない」は、通じない。

これは技術よりも文化のギャップだった。だけど、**仕事の進め方に大きく影響する“見えない壁”**でもあった。


自分の意見を「言わない」ことが招いたミス

別のプロジェクトでも、似たような場面があった。

ログ記録の仕様について、僕はこう思っていた。

(これだと後でエラーの解析がしにくいな。デバッグログ、もう少し細かく出しておいたほうがいいかも…)

でも、チームのミーティングではその懸念を口にできなかった。

“Looks good to me.”

そう言ってしまった。

数週間後、運用でエラー解析に時間がかかる事態に。
Carlosはレビューの内容を見て言った。

“Why didn’t you raise this earlier? You had good points in the code comment.”

その時ハッとした。

「黙っていたことで、逆にチームに迷惑をかけていた」

遠慮や配慮のつもりだった行動が、結果的に品質にも、信頼にも悪影響を与えていた。


「出すこと」は、相手のためにもなる

それから僕は、言い方を工夫するようになった。

最初は強い表現は避けて、こんなふうに言ってみた。

“I might be wrong, but I feel this could cause an issue in production.”
“Just a thought—should we consider adding more detailed logs here?”

するとチームは、

“Great point. Let’s dig into that.”
“Thanks for flagging this.”

と言ってくれた。
意見を出すことは「わがまま」ではなく、「貢献」だった。


「空気を読む」は、海外では“壁”になることがある

もちろん、相手の立場や雰囲気を読むことは無駄じゃない。でも、日本的な「察し」「忖度」は海外の現場では伝わりにくい。

沈黙や笑顔は「賛成」に見える。
質問しないことは「理解している」と誤解される。

つまり、“配慮”が“無関心”に見えてしまうリスクがあるということ。

だから、僕はこう考えるようになった。

空気を読むだけでなく、“空気の中で言葉にする”ことが大事なんだ。

「意見を言ってくれて、助かったよ」──沈黙から信頼へ

自分の“意見”が、プロジェクトの転機をつくった日

ある日、進行中のプロジェクトでUIまわりの仕様変更が議論された。ログイン後の画面遷移を、今の2ステップから1ステップに短縮する案だった。

チームの雰囲気は「シンプルになるし、いいね」という流れ。
でも、WPFの観点から見たとき、ある懸念が頭をよぎった。

(ViewModel間のデータ受け渡しが一気に複雑になるな。
今の構造ではNavigationServiceの仕組みと衝突するかも…)

とはいえ、チームはポジティブな空気。そこで反対するのは正直、気が引けた。
だけど──ふと思い出した。

(言わなかったせいで、後から困ったことがあったよな…)

そう思い切って、こう言った。

“Sorry to interrupt. I have one concern. In current MVVM setup, removing the middle screen may make the data flow harder. Maybe we need to redesign some ViewModels.”

一瞬、空気が止まったような気がした。
でもすぐに、Carlosが言った。

“Oh, good catch. Can you explain a bit more?”


発言の“勇気”が、チームの信頼をつくる

そこから、10分ほど技術的な説明をした。

WPFでのページ遷移、Dependency Injectionの制限、ViewModelの疎結合の観点──英語は決して流暢じゃなかったけれど、「こうしたらいいかも」という代替案も提示した。

するとCarlosがうなずきながらこう言った。

“Thanks for raising this. We might’ve run into trouble later.”

さらにチームメイトの一人が笑いながらこう言った。

“Man, I always forget that WPF has its own world. Glad you mentioned it!”

それまで、僕は「黙って流れに合わせることが協調性」だと思っていた。でもこのとき、**“協調性”とは“意見を出し合って最善を探ること”**だと体感した。


“自己主張”は、相手を否定することじゃない

それから僕は、ミーティングでの発言の仕方を少しずつ変えていった。

以前の僕:

  • “It’s fine.”
  • “I agree.”(本当はそう思っていない)

今の僕:

  • “I agree overall, but I’m a bit worried about one point.”
  • “I have a different idea—may I share it?”

重要なのは、相手を否定せず、自分の視点を足すこと

これは日本語での議論でも同じだけど、英語になると急に「攻撃的に聞こえないかな?」と不安になってしまう。でも、実際はそうじゃなかった。

むしろ、チームはこういう言い回しを歓迎してくれた。


「言い方」は、スキルとして身につけられる

自己主張が苦手な人にありがちなのが、「言いたいけど、どう言えばいいかわからない」という悩み。僕もまさにそれだった。

そこで僕は、“意見を言うときのテンプレート”をいくつか作った。たとえば──

状況フレーズ例
軽く異議を唱える“I see your point, but I wonder if…”
代替案を出す“What if we try this approach instead?”
心配を伝える“I’m concerned that this might cause issues later.”
柔らかく確認“Just to clarify, are we sure this fits the requirement?”

これだけでも、「伝えたいけど言葉が出ない」という状態を避けやすくなる。


言葉の“壁”より、自分の“壁”が一番高かった

英語がネイティブでないということは、どこかで「自分の発言には価値がない」と思ってしまいやすい。

でも実際は違う。
英語が多少間違っていても、意見に価値があればちゃんと聞いてくれる

それに、文化が違えば「当たり前」の認識も違う。だからこそ、多様な視点が必要とされている。

僕が何かを言わなければ、その意見はこのチームには永遠に現れない。

そう考えたとき、発言することの意味が変わった。

“黙る優しさ”と“伝える責任”の境界線

意見を言わなかったことで起きた“すれ違い”

ある日、チーム内でコードスタイルに関するちょっとした議論があった。

新しく加わったエンジニアが、普段のスタイルとは違う書き方をしていた。でも誰も強く指摘せず、なんとなく「まぁいっか」で流れた。

僕も「ちょっと気になるな」と思いつつ、口には出さなかった。
(せっかく来たばかりだし、細かいこと言って嫌な思いさせたくないしな…)

ところが、しばらくしてコードレビューで混乱が続出。読みづらい・テストしづらいという声がチーム内で増え、結局その人は修正を求められることに。

しかも、そのエンジニアはこう言った。

“Why didn’t anyone say anything earlier? I thought this was acceptable.”

その時、僕は思った。

「言わなかったことが、逆に不親切だったんだ」


「自己主張しすぎる」人もいる現場で学んだこと

一方、別のプロジェクトで関わったイギリス出身のエンジニアは、真逆のタイプだった。

  • 会議中、ほぼ毎回話す
  • 他人のアイデアに対して「No, I don’t think so」とバッサリ言う
  • 自分のやり方を貫こうとする

最初は「自己中心的だな」と思っていたけれど、彼がチームに信頼されていたのには理由があった。

それは、**批判ではなく“貢献のための反対意見”**だったから。

“I’m saying this because I want us to avoid extra rework later.”
“This method worked well in my past project. I think it can help here too.”

その姿勢に触れて、「主張する=悪」ではないことを再認識した。


“空気を読む”は、国境を越えると“わかりづらさ”になる

日本の「空気を読む」は高度なコミュニケーション力だと思う。
でも、異文化環境では“見えないメッセージ”は届かない。

✔ 本当は納得していないのに笑顔
✔ 賛成していないのにうなずく
✔ 不安があるのに言わない

これらは、「YES」に見えてしまう。
だから、あとで問題が発覚したとき、**「なぜ言ってくれなかったのか?」**となる。

僕たちが無意識にやっている“気遣い”が、無関心や非協力と受け取られることもある。これは、日本人として海外で働くときに一番気をつけたいポイントだった。


「自分を出す」と「出しゃばる」の違いはどこにあるのか?

僕自身が模索し続けてきたテーマのひとつがこれだった。

でも最近、シンプルな答えを見つけた。

“自分の立場”ではなく、“チームの目的”を軸に発言すること。

例えば──

  • ×「自分のやり方の方が慣れてるから」
  • ○「この方が保守性が高く、今後の対応が楽になるから」
  • ×「この仕様は面倒くさい」
  • ○「この仕様だとエンドユーザーの混乱が起きるかもしれない」

つまり、“誰のための発言か”が伝わるようにすること。それだけで、“自己主張”が“貢献”に変わる。


日本人としての強みを活かすには

僕たちはもともと「周りを見る」「気を配る」「調和を保つ」ことが得意だ。
だからこそ、そのスキルを発言の“質”に反映させることができる。

たとえば──

“From the team’s point of view, I wonder if we might run into confusion later.”
“Just thinking aloud—if we want to keep consistency, maybe we can follow the previous pattern?”

こんな風に“全体のために考えている”ことを含ませるだけで、言葉の受け取られ方が大きく変わる。

“伝えた勇気”が、チームを変えた。自分も変えた。

伝えた一言が、信頼のスタートだった

今思えば、「沈黙しない」と決めた日が、自分のキャリアのターニングポイントだった。

英語は片言だったし、発音に自信もなかった。でも、それよりも大切だったのは**「伝える意思」**だった。

例えば、チームでUIの設計に関する方向性を議論していたとき、あるメンバーが不満そうな表情を浮かべていた。以前の僕なら気づいても黙っていたかもしれない。

でも、その時は言ってみた。

“You look a bit unsure—do you have a different idea?”

すると彼は、

“Yeah, I’m not sure this will scale well with localization…”

それがきっかけで、より拡張性のあるUI設計に話が進み、結果的に他チームにも共有されるベストプラクティスに発展した。

たった一言が、意見を引き出し、より良い成果につながった。
そしてその後、そのメンバーが僕にこう言ってくれた。

“Thanks for asking. It helped me speak up.”

その瞬間、“意見を出すこと”が自分だけでなく、周囲にとっても大事な行動なのだと強く感じた。


沈黙をやめたことで得た「チームの一員感」

英語が苦手でも、文化が違っても、意見を伝えるようになってから──
プロジェクトの議論に深く関われるようになった。
レビューでも「ここまで考えてくれてありがとう」と声をかけられるようになった。
Slackでも、誰かが困っているときに自然と声をかけ合えるようになった。

これは、“発言するエンジニア”として仲間から認識されたからだと思う。

日本にいた頃、言われたことを丁寧にこなすことが評価につながる文化に慣れていた。
でも、海外の現場では**「自分の意見を持ち、伝える人」が“信頼される人”**になる。

それが理解できてから、仕事の楽しさも責任感も変わった。


「空気を読まない」ではなく、「空気の中で声を出す」

これは日本人としてのバランス感覚を失うという意味ではない。

むしろ、日本人ならではの“配慮する力”があるからこそ、
相手を否定せずに、建設的に意見を出すことができる

僕が意識しているのは、こんな表現:

  • “Just sharing my thought—I might be wrong.”
  • “I understand your point, and I wonder if…”
  • “Can I add one more view from our users’ side?”

この言い回しを身につけたことで、チームに“角を立てずに意見を言える人”として見てもらえるようになった。


“意見を持つ日本人エンジニア”は、世界の現場で重宝される

今、僕は日系ではない海外企業の一員として働いている。周りはさまざまな国籍のエンジニアたちだ。

その中で、「話せる日本人エンジニア」としての立ち位置が、確かに存在している。

  • 丁寧な観察力
  • 周囲との調和を重視する気質
  • 論理と感情のバランス感覚

こうした日本的な価値観を持ちつつ、自分の意見も持ち、伝えることができる人材は、海外でも本当に重宝される。

そしてそれは、誰でも訓練によって身につけられるスキルだと思う。


まとめ|“黙ること”は、優しさとは限らない

僕がこの数年で一番学んだのは、

言葉を飲み込む優しさより、言葉にする責任の方が価値があるということ。

沈黙の中には安心感がある。でも、それは時として、
・誤解を生み
・信頼を失い
・機会を逃す

きっかけになってしまう。

英語が拙くても、言葉にしてみよう。
思ったことを伝えてみよう。
そこから生まれるものの方が、ずっと大きい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました