その会議室は、なぜ「沈黙の戦場」と化したのか? ~言葉の壁より高い「ジャーゴンの壁」~
こんにちは! 海外でコードを書いているITエンジニアです。
普段はC#やWPFを使って、デスクトップアプリケーションの設計・開発をメインにやっています。
今日はちょっと、技術そのものの話じゃなくて、僕たちが普段無意識に使っている「武器」の話をしようと思うんだ。そう、**「言葉」**の話。
これから海外に出ようと思っているエンジニアの君、もしかして「英語力さえあればなんとかなる」と思ってない? 文法も単語も完璧なら、プロジェクトは円滑に進むって?
……甘い。砂糖たっぷりのドーナツより甘いよ。
僕も最初はそう思ってた。TOEICの点数を上げ、技術書の原書を読み漁り、準備万端で渡航したつもりだった。でもね、現場で待っていたのは「英語が通じない」という悩みじゃなくて、「話が噛み合わない」というもっと根深い絶望だったんだ。
今日は、僕の実体験ベースで、君のキャリアを救うかもしれない重要な話をシェアしたい。これを読むと、明日からのミーティングへの挑み方がガラリと変わるはずだよ。
「え、ViewModelって何?」凍りついた定例ミーティング
あれは、僕が今の国に来て半年くらい経った頃の話。
ある大規模な在庫管理システムのUIリニューアル案件を担当していたんだ。技術スタックはC#、フレームワークはもちろんWPF。僕は意気揚々と、MVVM(Model-View-ViewModel)パターンの利点を活かした、疎結合でテスト容易性の高いアーキテクチャを設計していた。
週に一度のプロジェクト定例ミーティング。
参加者は僕ら開発チームの他に、現地のプロダクトマネージャー(PM)、UXデザイナー、そしてビジネスサイドのステークホルダーたち。国籍もバラバラで、アメリカ人もいれば、インド人、ドイツ人もいる多国籍チームだ。
議題は「なぜ特定の画面のデータ反映が遅延するのか」というトラブルシューティングだった。
僕は自信満々に原因を突き止め、こう説明したんだ。
「ああ、この問題ですね。これはViewとViewModelのバインディングにおいて、INotifyPropertyChangedの発火タイミングが非同期処理のスレッドコンテキストとズレているのが原因です。Dispatcherを使ってUIスレッドにマーシャリングし直せば解決しますが、根本的にはModel層からのイベント通知をReactive Extensionsで購読し直すべきかと……」
……。
……シーン。
会議室に、なんとも言えない重たい沈黙が流れた。
PMのマーク(仮名)が、困ったような、少し苛立ったような顔で眉間を揉んでいる。
UXデザイナーのサラは、ノートPCの画面を見つめたまま固まっている。
僕は焦った。「あれ? 発音が悪かったかな?」と思って、ホワイトボードに Dispatcher とか Observables とか書きながら、もう一度ゆっくり、文法的にも完璧な英語で説明し直した。
でも、空気は変わらなかった。
最後にマークが重い口を開いて言った一言が、今でも忘れられない。
「OK, Ken. So… is it broken or not? And can users sell the products today?」
(オーケー、ケン。で……それは壊れてるのか、そうじゃないのか? そしてユーザーは今日、商品を売ることができるのか?)
僕は愕然としたよ。
僕は技術的に「正しい」ことを、正確に伝えたつもりだった。
でも、彼らにとって僕の言葉は、まるで宇宙人の言語か、あるいは「自分たちを煙に巻くための呪文」にしか聞こえていなかったんだ。
専門用語(ジャーゴン)という名の「静かなる破壊工作員」
この日、僕が犯した罪。それは**「ジャーゴン(専門用語)」によるテロ行為**だと言っても過言じゃない。
エンジニア同士なら「ああ、スレッドまたぎの例外ね」で3秒で通じる話だ。
でも、そこはエンジニアだけの聖域じゃない。ビジネスを動かすための場所だった。
ここで君に知っておいてほしい概念がある。
**「The Silent Saboteur(静かなる破壊工作員)」**という言葉だ。
これは、組織の中でイノベーションやプロジェクトの進行を阻害する要因のことなんだけど、その正体がまさに「専門用語(ジャーゴン)」なんだよ。
僕たちは無意識のうちに、自分たちの専門性を誇示するため、あるいは複雑な現象を短く説明するために、業界用語を多用する。
- 「あー、そこはレガシーなコードベースなんで、リファクタリングの工数が必要です」
- 「APIのレイテンシがボトルネックになっていて、UXがデグラデーションしています」
- 「それはエッジケースですね。今のスプリントではスコープ外です」
これ、日本人のエンジニア同士なら「うんうん、そうだね」で終わる。
でも、海外の、特に多様なバックグラウンドを持つチームでは、これが致命的な分断を生むんだ。
なぜか?
それは、言葉が「意味」を伝える道具ではなく、「壁」を作るレンガになってしまうからだ。
僕が体験した会議室の沈黙。あれは単に「意味がわからなかった」だけじゃない。
「あいつらエンジニアは、また自分たちにしか分からない言葉で内輪揉めをしている」
「私たちのビジネス上の懸念(商品が売れるか)に対して、真摯に向き合っていない」
そんな不信感が、あの沈黙の中に渦巻いていたんだ。
これを僕は「静かなる破壊工作」と呼んでいる。誰も面と向かって「お前の言葉はわからない」とは言わない(優しいからね、あるいは言うのが面倒だから)。
ただ静かに、心のシャッターを下ろす。
そして、「あいつらには任せられない」「エンジニアとの会議は時間の無駄だ」という空気が醸成され、素晴らしいアイデアやイノベーションの芽が、誰にも気づかれないまま枯れていく。
「正確さ」の罠と、海外で働くということ
日本にいた頃も、営業さん相手に専門用語を使ってポカンとされることはあった。
でも、日本の企業文化には「阿吽の呼吸」や「持ち帰って検討します」というクッションがあったり、なんとなく文脈で察してくれるハイコンテキストな土壌があったりする。
でも、海外は違う。
特に僕がいるような欧米圏のプロジェクトでは、**「Low Context(ローコンテキスト)」**なコミュニケーションが基本だ。
「言ったことが全て」。
察してなんてくれない。
そこで、僕たちが良かれと思って使う「正確な技術用語」は、説明不足の怠慢と受け取られることがある。
例えば、「デッドロックが発生している」と言うのが技術的には100%正解だとしても、相手が求めているのは「なぜシステムが止まっているのか、いつ直るのか」というストーリーだ。
「複数の車が交差点で同時にお互いの進路を塞いでしまって、誰も動けなくなっている状態です。信号機(交通整理の仕組み)を調整するのに1時間かかります」と言わなきゃいけない。
これを「デッドロックです」の一言で済ませようとするのは、相手に対する**「知的暴力」**ですらあると、僕は思うようになった。
この「ジャーゴン問題」は、単なるコミュニケーションスキルの話じゃない。
プロジェクトの予算、スケジュール、そして何より**「チームの信頼関係」**に直結する、経営課題レベルの話なんだ。
君の「スゴい技術」が、ゴミ扱いされる前に
これから海外に出る君へ。
君がC#のエキスパートだろうが、クラウドアーキテクトだろうが、AIの天才だろうが関係ない。
もし君が、自分の持っている知識を、相手のわかる言葉(ドメイン言語)に翻訳して届けることができなければ、君の価値は半減……いや、ゼロになるかもしれない。
「そんな大げさな」と思うかもしれないね。
でも、実際に僕は見たんだ。
とてつもなく優秀なバックエンドエンジニアが、難解な専門用語ばかり並べてビジネスサイドと対立し、結局プロジェクトから外されたのを。
逆に、技術力はそこそこでも、「つまり、これは家の配管で言うとこういうことで……」と例え話が上手なエンジニアが、PMから絶大な信頼を得て、テックリードに昇格していくのを。
海外で働くっていうのは、技術という刀を振り回すことじゃない。
技術という種を、異文化という土壌に植えて、現地の仲間と一緒に花を咲かせることだ。
そのために必要な水や肥料が、**「伝わる言葉」**なんだよ。
僕が冒頭で話した「WPFのバインディング問題」の後、どうなったと思う?
僕はその夜、猛烈に反省した。
そして、次の日の朝、もう一度マークのデスクに行ってこう言ったんだ。
「昨日の説明は最悪だった。ごめん。簡単に言うと、**『画面が表示されるスピードよりも、データが届くスピードが速すぎて、受け取り損ねている状態』**なんだ。郵便受けがいっぱいなのに、無理やり手紙を押し込もうとして詰まってるイメージ。だから、少し受け取り口を整理する時間をくれれば、今日中に直るよ」
マークは顔を輝かせて言った。
「Oh! それならわかる! それだよケン、最初からそう言ってくれれば、僕はクライアントに『今は郵便受けの整理中だ』って説明できたのに!」
この瞬間、僕の中で何かが弾けた。
ああ、これだ。これなんだ、と。
これから続く「承」「転」「結」のパートでは、この気づきをさらに深掘りしていく。
ただの「分かりやすい説明のコツ」なんて浅い話じゃないぞ。
組織全体に巣食う**「Dark Debt(闇の負債)」**の正体や、それを解消してイノベーションを加速させるための具体的なメソッドについて、僕の失敗と成功の実体験を交えてガッツリ語っていくから、覚悟してついてきてほしい。
君が海外で「ただのコーダー」で終わるか、「変革を起こすエンジニア」になるか。
その分かれ道が、ここにある。
技術的負債ならぬ「コミュニケーションの闇の負債(Dark Debt)」の正体
前回の話で、僕は「正しい技術用語」を使ったせいで、PMやデザイナーとの信頼関係を破壊しかけた話をしました。
「でもさ、結局通じればいいんでしょ? 毎回翻訳するのは面倒くさいよ」
そう思ったそこの君。気持ちは痛いほどわかる。僕も、ViewModelの話を家造りに例えるのに毎回脳みそのカロリーを使いたくない日もある。
だが、ここで警告しておきたい。
安易なジャーゴンの使用は、単なる「説明不足」ではない。それは組織の中に静かに蓄積し、ある日突然破産を宣告してくる**「闇の負債(Dark Debt)」**なんだ。
コードの負債よりタチが悪い? 「Dark Debt」とは何か
エンジニアなら**「技術的負債(Technical Debt)」**という言葉は耳にタコができるほど聞いているよね。「とりあえず動くけど汚いコード」をリリースして、後で修正コストに利子がついて苦しむあれだ。
でも、海外の研究チームや組織論の中で最近注目されているのが、この**「Dark Debt(闇の負債)」**という概念だ。これは、複雑なシステムや組織構造の中で、「目に見えない依存関係」や「認識のズレ」が積み重なり、誰も全貌を把握できなくなる状態を指す。
僕流に解釈すると、「コミュニケーションにおけるジャーゴンの多用」こそが、このDark Debtの主犯格だ。
例えば、君が「ここ、非同期処理(Async/Await)でやっときますね」と軽く言ったとする。
君の頭の中(エンジニアの文脈):
- UIをフリーズさせないための必須処理。
- エラーハンドリングが複雑になる可能性がある。
- テストが少し面倒になる。
相手(PM)の頭の中(ビジネスの文脈):
- 「ヒドウキ」? まあいいや、とにかく速くなる魔法の言葉かな。
- ユーザーには関係ない内部の話だよね。
- コストゼロでできる改善だよね。
この「認識のギャップ」こそが負債の元金だ。
この時点では何も起きない。プロジェクトは進む。
しかし、いざリリース直前に「非同期処理の競合でバグが出ました」と報告した瞬間、PMは激怒する。
「なんでそんなリスクのあることを勝手にやったんだ! お前は簡単だって言ったじゃないか!」
君は反論する。「いや、非同期にするって言いましたよ!」
PMは言い返す。「それがこんなに工数を食うなんて聞いてない!」
これがDark Debtの利払い日だ。
コードのバグならコンパイラやテストが教えてくれる。でも、言葉のバグは誰も教えてくれない。
プロジェクトが炎上し、人間関係が破綻するその瞬間まで、水面下で静かに利子を膨らませ続けるんだ。
実録・プロジェクト崩壊の現場 ~「Refactoring」という言葉の呪い~
僕がドイツのチームと一緒に仕事をしていた時の、背筋も凍る失敗談をシェアしよう。
当時、僕たちはあるレガシーなWindowsフォームアプリを、WPFに移行しつつ機能追加するという案件を抱えていた。
コードはスパゲッティ状態。僕たちエンジニアチームは、これ以上の機能追加は危険だと判断し、PMに対してこう提案した。
「次のスプリントは機能開発を止めて、**リファクタリング(Refactoring)**に専念させてほしい」
PMのハンスは少し渋い顔をして、「うーん、リファクタリングか。まあ、必要ならやってくれ。ただし、2週間後のデモには影響ないように頼むよ」と言った。
僕たちは歓喜した。「よし、許可が出た!」
チームは2週間、新機能の開発を一切ストップし、内部構造の大手術を行った。DI(依存性の注入)を導入し、MVVMパターンを適用し、ユニットテストを書いた。画面上の見た目は1ピクセルも変わっていないが、コードは美しく生まれ変わった。僕たちは誇らしかった。
そして2週間後のデモ当日。
僕たちは自信満々に「リファクタリング完了」を報告した。
ハンスはアプリを触り、そしてポカンとして言った。
「……で、新しい機能はどこにあるんだ?」
「いや、だからリファクタリングをしたんです。コードがきれいになりました」
「は? 2週間もかけて、何も変わってないのか? 顧客に見せるものが何もないだって!?」
会議室は修羅場と化した。
ハンスにとっての「リファクタリング」は、「ちょっとした手直し(Cleanup)」程度のニュアンスだったのだ。
「掃除をするついでに、新しい家具(機能)も入るだろう」くらいに思っていた。
一方、僕たちエンジニアにとっての「リファクタリング」は、「外部の振る舞いを変えずに内部構造を改善すること」という厳密な定義がある。機能が増えないのは当たり前だ。
この**「定義のズレ」**というDark Debtが、チームの信頼を粉々にした。
「お前たちはビジネスを舐めているのか!」と怒鳴るハンス。
「技術的負債を理解しないPMは無能だ!」と陰口を叩くエンジニアたち。
このプロジェクトはその後、半年間も遅延した。
原因は技術力不足じゃない。「リファクタリング」という、たった一つの専門用語の意味を、お互いが都合よく解釈し、確認を怠った(借金をした)せいだ。
なぜ僕たちは「賢い言葉」を使いたがるのか?
なぜ、こんな悲劇が繰り返されるのか?
特に海外で働く日本人エンジニアが、この罠にハマりやすい心理的背景がある。
一つは、**「インポスター症候群(Impostor Syndrome)」**の裏返しだ。
異国の地で、ネイティブじゃない英語で働いていると、常に不安がつきまとう。「自分はここでやっていけるのか?」「バカにされてないか?」
その不安を打ち消すために、僕たちは無意識に「高度な専門用語」という鎧(よろい)をまといたくなる。
難しい言葉を使うことで、「私はプロフェッショナルだ」と証明したくなるんだ。
もう一つは、**「知識の呪い(Curse of Knowledge)」**だ。
自分が知っていることは、相手も知っているはずだと思い込んでしまう認知バイアス。
特にC#やWPFのような成熟したコミュニティに長くいると、「Dependency Property」とか「Data Context」といった言葉が、まるで「リンゴ」や「ペン」と同じくらい日常的な言葉に感じてしまう。
それを非エンジニアに投げつけた時、相手がどれほど混乱するか想像できなくなってしまうんだ。
沈黙が生む「イノベーションの死」
ジャーゴンによる「Dark Debt」がもたらす最大の損失は、プロジェクトの遅延だけじゃない。
もっと恐ろしいのは、**「イノベーションの源泉が枯れる」**ことだ。
本当に革新的なアイデアというのは、技術(Tech)とビジネス(Biz)の境界線で生まれる。
「この新技術を使えば(Tech)、こんな新しい商売ができる(Biz)」という化学反応だ。
しかし、エンジニアがジャーゴンという高い壁の中に閉じこもり、ビジネスサイドが「あいつらの話は難しくてわからない」と耳を塞いだらどうなるか?
化学反応は起きない。
ただ仕様書通りにモノを作るだけの下請け作業になる。
「もっとこうすれば良くなるのに」というエンジニアの気づきも、「技術的に無理だろうな」というビジネスサイドの勝手な諦めも、すべて闇に葬られる。
僕の見てきた限り、海外で成功しているスタートアップや開発チームは、例外なくこの「言葉の壁」を取り払うことに執着している。
彼らは「Kubernetes」の話を「配送センターのトラック配車システム」に例え、「マイクロサービス」を「専門特化した屋台の集合体」として語る。
言葉を「正確に」使うことよりも、「共有できるイメージ」を作ることに命をかけているんだ。
さて、ここまで読んでくれた君は、もう自分の口から出そうになる専門用語に恐怖を感じているかもしれない。
「じゃあどうすればいいんだ? まさか『データバインディング』を毎回『魔法の接着剤』と言い換えろって言うのか? それこそ馬鹿にしてると思われないか?」
その通り。ただ幼稚な言葉に置き換えるだけじゃ、今度は「プロとしての信頼」を失うリスクがある。
ここが一番難しいポイントだ。
次回の「転」では、このジレンマを解決するための、**「賢く見られたい」というエゴを捨てつつ、プロフェッショナルとしての尊敬を勝ち取るための「翻訳メソッド」**について話そう。
それは単なる言い換えじゃない。エンジニアとしての視座を一段高くする、思考のフレームワークだ。
「賢く見られたい」を捨てろ。「平易な言葉」こそが最強のインターフェースである
前回まで、「専門用語(ジャーゴン)は借金だ」「Dark Debtだ」と散々脅してきました。
でも、君の心の中にはまだ、こんな葛藤があるんじゃないかな?
「ケンさん、言ってることはわかります。でも、エンジニアが『これ、なんかすごい魔法で動いてます』なんて説明したら、バカだと思われませんか? 専門家としての威厳が保てなくなりませんか?」
わかる。痛いほどわかるよ。
特に僕ら日本人は、海外に出ると「英語のハンデ」がある。だからこそ、難解な技術用語やビッグワードを使うことで、「僕はちゃんとした教育を受けたプロフェッショナルなんだ!」とマウンティングしたくなる。専門用語は、自分の自信のなさを隠すための「防弾チョッキ」なんだよね。
でも、はっきり言おう。
その防弾チョッキ、実はスケスケです。
むしろ、その重たい鎧のせいで、君は本当に大切な「信頼」というゴールへ走れなくなっている。
この「転」のパートでは、僕が海外の現場で目撃した衝撃的な事実と、思考のコペルニクス的転回について話したい。
「カプセル化」できていない説明は、ただの技術不足
C#エンジニアの君なら、オブジェクト指向の三大要素の一つ、**「カプセル化(Encapsulation)」**を知ってるよね?
複雑な内部ロジックやデータ構造(private field)は隠蔽し、外部にはシンプルで使いやすい操作方法(public method)だけを公開する。これが良いクラス設計の基本だ。
コミュニケーションも、これと全く同じなんだよ。
- 悪いエンジニアの会話:内部実装(private)をそのまま外部に漏らす。「WPFのDispatcherがブロックしていて、Deadlockが発生したので、Task.Runで別スレッドに逃がす必要があります」→ これは、クラスの内部変数を全部publicにしてるのと同じ。**「スパゲッティ・コミュニケーション」**だ。
- 良いエンジニアの会話:内部実装は隠蔽し、インターフェース(public)だけを提供する。「今の処理は、受付係(UI)が重い荷物運び(処理)も兼任してしまって動けなくなっています。荷物運び専用のスタッフ(別スレッド)を雇って、受付係をフリーにします」
僕が尊敬する現地のシニアアーキテクト、デイビッド(仮名)は、この「言葉のカプセル化」の天才だった。
彼は決して、ビジネスサイドの人間に「マイクロサービス」とか「イベントソーシング」なんて言葉を使わない。
その代わり、「レゴブロックのように独立した部品に分けよう」「銀行の通帳みたいに履歴を残そう」と言う。
ある日、僕は彼に聞いたんだ。
「デイビッド、君ほどの知識があれば、もっと正確な用語で説明できるはずだろ? なぜそんな子供みたいな言葉を使うんだ?」
彼は笑って、コーヒーを一口飲み、こう言った。
「Ken, complexity is laziness. Simplicity is the ultimate sophistication.」
(ケン、複雑さは怠慢だ。単純さこそが、究極の洗練なんだよ)
衝撃だった。
僕は「難しい言葉を知っていること」が賢さだと思っていた。
でも、彼は**「難しいことを簡単に言えること」こそが、真の知性(Intelligence)**だと定義していたんだ。
平易な言葉(Plain Language)は「ナメられる」どころか「パワープレイ」だ
君が恐れている「簡単な言葉を使うとナメられる」という不安。
実はこれ、逆なんだ。
海外、特に英語圏のビジネスシーンにおいて、**Plain English(平易な英語)**を使いこなす能力は、リーダーシップの必須スキルとされている。
なぜなら、聞き手の脳のCPUリソースを節約する行為だからだ。
想像してみてほしい。
忙しい決裁権者(CEOやVP)が、君の話を聞いている。彼らは常に何百もの決断を迫られ、脳みそはパンク寸前だ。
そこで君が、「KubernetesのPodがCrashLoopBackOffして……」なんて話し始めたらどうなるか?
彼らの脳は「翻訳」のために無駄なカロリーを使わされる。これは「コスト」だ。君は相手の時間を奪っている。
逆に、「サーバーが不安定で、自動再起動を繰り返しています。原因はメモリ不足です」と中学生でもわかる言葉で伝えたら?
彼らは即座に状況を理解し、「で、どうすればいい? サーバーを増強する予算が必要か?」と、次の**「意思決定」**にリソースを使える。
つまり、平易な言葉を使うということは、**「相手を意思決定という一番重要な仕事に集中させてあげる」という、最高級の「おもてなし(Omotenashi)」であり、同時にプロジェクトを自分の望む方向へ動かすための「パワープレイ(力技)」**なんだ。
「難しい言葉を使わないと賢く見えない」なんていうのは、二流の悩みだ。
一流は、**「一番簡単な言葉で、一番早く相手を動かす」**ことに命をかけている。
英語が苦手な僕たち日本人こそ「Plain English」を武器にしろ
ここで朗報がある。
僕たち日本人のエンジニアにとって、この「Plain English戦略」は、実はめちゃくちゃ相性がいい。
ネイティブみたいに洗練された語彙や、複雑な構文なんて覚える必要はない。
むしろ、中学校で習うような**SVO(主語・動詞・目的語)**のシンプルな文型と、基本的な単語だけで構成された英語の方が、グローバルチームでは「明確で分かりやすい」と好まれるんだ。
「Global English」とか「Globish(グロービッシュ)」と呼ばれる考え方だね。
僕の実体験でもそうだ。難しい単語を必死に繋ぎ合わせた僕の英語より、
「This is bad. Users cannot save data. We fix it tomorrow.」
と、単語を並べただけの同僚の英語の方が、会議では圧倒的に力を持っていた。
かっこつけて utilize(利用する)とか leverage(活用する)なんて言わなくていい。 use でいい。
commence(開始する)なんて言わずに start でいい。
investigate(調査する)もいいけど、check や look into で十分伝わる。
「賢く見せる英語」を捨てろ。「伝わる英語」を選べ。
それが、海外で生き残るための生存戦略だ。
ジャーゴンを捨てる勇気が、イノベーションの扉を開く
前回の「承」で、ジャーゴンがイノベーションを殺すと言った。
逆に言えば、ジャーゴンを捨てて、共通言語(Ubiquitous Language)を作ることができれば、イノベーションは自然と生まれる。
僕が関わったあるプロジェクトで、エンジニアと営業が対立していたことがあった。
エンジニアは「データベースの整合性が~」と言い、営業は「顧客の信頼が~」と言う。話は平行線だ。
そこで僕は、勇気を出してホワイトボードに絵を描いた。
難しいER図じゃない。ただの「箱」と「矢印」だ。
「僕たちのシステムを『巨大な図書館』だと思ってください。今、本(データ)を返す人(書き込み)と、借りる人(読み込み)がカウンターでぶつかってるんです」
すると、営業の人が叫んだ。
「なんだ! じゃあ、返却ポストを別に作ればいいんじゃないか?」
それは技術用語で言えば「CQRS(Command Query Responsibility Segregation)」や「非同期キュー」の提案だった。
営業担当者が、アーキテクチャの提案をしてきたんだ!
「そう! それです! それをやりましょう!」
会議室の空気が一変した。敵対関係だったエンジニアと営業が、一つの解決策に向かって走り出した瞬間だった。
この瞬間、僕は確信した。
言葉の壁を取り払うことは、相手をチームに引き入れることだ。
専門用語という「排他的な壁」を壊し、平易な言葉という「橋」を架ける。
それこそが、海外で働くエンジニアに求められている、本当の仕事なんだ。
さあ、マインドセットは整った。
「平易な言葉が最強」だとわかった。
でも、具体的にどうすればいい?
「子供に話すように」と言われても、実際に明日からどうやって話せばいいのか、技術的なトピックをどう翻訳すればいいのか、その具体的な「型」が知りたいよね?
最終回となる「結」では、明日からのミーティングですぐに使える**「脱・専門用語ブリッジ構築メソッド」**と、チーム全体を巻き込んで共通言語を作るための実践的なアクションプランを渡します。
これを読めば、君はもう「言葉の通じないエンジニア」じゃない。「ビジネスを加速させるパートナー」になれるはずだ。
明日から使える「脱・専門用語」ブリッジ構築メソッド ~イノベーションを起こす共通言語の作り方~
これまでの旅路で、君はもう気づいているはずだ。
海外で活躍するエンジニアの真の価値は、「どれだけ難しいコードを書けるか」ではなく、**「どれだけ技術とビジネスの間に『橋』を架けられるか」**で決まるということに。
最終回となる今回は、その「橋」を架けるための具体的な道具箱(ツールキット)を君に授ける。
明日、君がオフィス(あるいはZoom)に行って、PMやデザイナー、あるいはCEOと話す時、このメソッドを使ってみてほしい。
彼らの目が「?」から「!」に変わる瞬間を体験できるはずだ。
メソッド1:最強の翻訳テンプレート「What-Like-Why」
いきなり「専門用語を使わず話せ」と言われても、頭が真っ白になるよね。
そこで、僕がいつも頭の中で使っている変換フォーマットを紹介する。
名付けて**「What-Like-Why(何?・みたい?・なぜ?)」の3ステップ法**だ。
技術的な事象を説明する時、必ずこの順番で話すクセをつけるんだ。
- What(事象): 何が起きているか(簡単な言葉で)
- Like(例え): 日常生活で言うと何に似ているか(メタファー)
- Why(価値): それがビジネスにどう影響するか(So What?)
【実践例:WPFのメモリリークを説明する場合】
- × ダメな例(ジャーゴン):「イベントハンドラの解除漏れでガベージコレクションが機能せず、マネージドヒープが枯渇してOutOfMemoryExceptionが発生しています」→ 相手:「……(宇宙語かな?)」
- ○ 良い例(What-Like-Why):
- What: 「使い終わった画面のデータが、消えずに残り続けています」
- Like: 「レストランで、お客さんが帰ったのにお皿を片付けないまま、次のお客さんを入れ続けているような状態です。これだと新しい料理が出せなくなります」
- Why: 「このまま放置すると、アプリが強制終了して、ユーザーが入力中のデータを失うリスクがあります。今すぐ『お皿洗い(修正)』が必要です」
どうだろう?
これなら、非エンジニアでも「うわっ、それはマズい! すぐ片付けよう!」と直感的に理解できる。
特に「Like(例え)」の威力は絶大だ。
- API → 「レストランのウェイター(注文を厨房に伝え、料理を運ぶ人)」
- サーバーの負荷分散 → 「スーパーのレジを一台増やして行列を減らすこと」
- セキュリティパッチ → 「家の鍵をピッキングされにくい最新のものに交換すること」
自分なりの「例え話ストック」を作っておくのが、海外エンジニアとしての嗜み(たしなみ)だよ。
メソッド2:「Output」ではなく「Outcome」を語れ
エンジニアはつい「何を作ったか(Output)」を語りたがる。
「検索アルゴリズムを改善しました」「ReactからVueに書き換えました」。
でも、ビジネスサイドが知りたいのは「どんな結果が出たか(Outcome)」だけだ。
これを意識するだけで、君の言葉は劇的に「経営者目線」になる。
- Before: 「画像の圧縮アルゴリズムをWebPに変換し、非同期で読み込むようにしました」(技術的な作業報告)
- After: 「商品画像の表示を1.5秒速くしました。これで、表示待ちでイライラして離脱するお客さんが10%減るはずです」(ビジネス価値の提案)
C#のコードを書いている時も、常に自問自答してほしい。
「このTask.Runは、誰を幸せにするんだ?」
「このリファクタリングは、将来いくらのコスト削減になるんだ?」
その答えを言葉にすること。それが「脱・専門用語」の近道であり、君を「ただの作業員」から「ビジネスパートナー」へと昇格させる鍵だ。
メソッド3:チーム共有の「ユビキタス言語(Ubiquitous Language)」を作れ
最後に、チーム全体を変える最強の手法を教えよう。
これはドメイン駆動設計(DDD)の考え方でもあるんだけど、**「チーム全員が使う共通の言葉(辞書)」**を作ってしまうことだ。
僕があるプロジェクトでやったのは、Wikiに「Project Glossary(用語集)」というページを作ることだった。
そこには、技術用語とビジネス用語の「対訳」を載せた。
- User(技術) = Shopper(ビジネス)
- Order ID(技術) = Receipt Number(ビジネス)
- Deploy(技術) = Go Live(ビジネス)
そして、会議では**「この用語集にある言葉以外は使わないルール」**を決めたんだ。
最初は面倒くさがられたけど、効果はてきめんだった。
「Userが……あ、ごめん、Shopperが商品をカートに入れた時……」
エンジニアが言い直す。
「次のDeployは……いや、Go Liveのタイミングは……」
PMが言い直す。
お互いが歩み寄ることで、「言葉の壁」は消えた。
そして驚くべきことに、言葉が統一されると、コードの中の変数名やクラス名も自然とビジネス用語に合ってくるんだ。
var u = new User(); ではなく var shopper = new Shopper(); になる。
こうなれば、コードそのものが仕様書になり、Dark Debt(闇の負債)は劇的に減っていく。
これが、真の**「イノベーションを起こす共通言語」**だ。
結び:君は「翻訳者」であれ
長々と語ってきたけど、僕が言いたいことはたった一つ。
「技術力」だけで勝負するのはやめよう。
特に海外では、言葉も文化も違う多様な人たちが集まっている。
そんな環境で、自分の殻に閉じこもって「正しい技術」を主張するだけなら、それはAIでもできる。
人間である君にしかできないこと。
それは、複雑な技術の文脈を読み解き、相手の心に届く言葉に翻訳し、バラバラだったチームの心を一つにすることだ。
ジャーゴン(専門用語)という「Saboteur(破壊工作員)」を追い出し、代わりに「Plain Language(平易な言葉)」という最高の「Diplomat(外交官)」を雇い入れよう。
君がその一歩を踏み出した時、会議室の沈黙は熱狂に変わり、君の書いたコードは、ただのプログラムではなく、世界を変えるプロダクトへと進化する。
さあ、次のミーティングが楽しみになってきただろう?
まずは隣の席の(あるいはZoom画面の向こうの)非エンジニアに、こう話しかけてみてくれ。
「ねえ、僕たちが今作ってるこの機能、例えて言うなら……」
Good luck, my fellow engineer!
君の海外キャリアが、最高のイノベーションで満たされることを祈っているよ。

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