- デジタルに支配された朝(サブタイトル:気づけば、スマホが僕の日常を設計していた)
- スクリーンのない世界へ一歩踏み出す(サブタイトル:24時間デジタル断食、その最初の衝撃)**(約3000文字)
- ■ 朝のルーティンがバグる
- ■ 思考がゆっくりになる
- ■ 外に出てみると、世界が変わって見えた
- ■ デジタルから離れると、自分と向き合わざるを得ない
- ■ ふと、アイデアが溢れ出してきた
- ■ 最初の“壁”も現れる
- 静寂の中で見えてきた、本当の自分(サブタイトル:デジタルから離れたとき、心が暴れ出した)**(約3000文字)
- ■ 心の声がうるさくなる
- ■ スマホ依存の正体は「安心したい」という欲求だった
- ■ 手帳を開いた瞬間、思わぬ出来事が起きた
- ■ そして、ついに“最大の壁”が訪れる
- ■ 「孤独」と向き合うと、自分が何を求めていたかが分かる
- ■ 不思議なことに、心が静かになった
- スクリーンの外側に戻ってきたエンジニアが見た世界(約3000文字)
- ■ スクリーンがない世界で、忘れていた“自分の速度”に戻れた
- ■ デジタルを“浴びる側”から、“選ぶ側”へ
- ■ 海外生活とデジタル依存は、実はセットになりやすい
- ■ この経験が、仕事にも人生にも効きはじめている
- ■ 最後に──24時間だけ、世界をオフにしてみてほしい
デジタルに支配された朝(サブタイトル:気づけば、スマホが僕の日常を設計していた)
正直に告白すると、僕の一日は「スマホを手に取る」という動作から始まる。目覚ましが鳴ったわけじゃない。
いや、正確にはアラームは鳴っている。けれど、肌感覚としては「アラームを止めながら、そのまま通知をチェックする」という連続モーションの一部にすぎない。スマホを握りしめた右手が、僕の“朝の意思決定”を勝手に代行してしまっている感覚だ。
ここまで来ると、もはや儀式だった。
ベッドから半分落ちかけた状態で、Slackの未読をざっと確認し、同僚からのメッセージに軽く目を通す。「後で返そう」と思っても、結局返す。YouTubeのレコメンドを無意識にスクロールし、気づけばサムネの誘惑に負けて再生してしまう。海外生活が長くなるほど、ニュースもSNSも全部「繋がっておかなきゃ不安になる情報」になってしまった。
そんな毎日を続けていたら、ある朝ふと、奇妙な違和感に襲われた。
──あれ? 僕って、こんなに“誰かの都合”で朝を始めてたっけ?
海外で働き始めたばかりの頃は、「英語に慣れたい」「技術で置いていかれたくない」という焦りが常にあった。Slackの通知が鳴るたび、何かミスしてるんじゃないかと胸がざわついたし、英語の長文メッセージを見るだけで軽く肩がこわばった。
ましてや、C# WPFの開発で設計レビューがある日は、スマホを見るだけで呼吸が浅くなる。そんな日々が続くと、スマホは便利なツールではなく、「緊張のスイッチ」になってしまう。
そして、気づいたときにはもう“スマホの方が僕を管理している状態”になっていた。
スマホが眠い目を覚ましてくれる。
スマホが一日の最初の情報を送りつけてくる。
スマホが僕の気分を揺らす。
スマホが僕の集中力を奪う。
スマホが僕の時間の奪い方を決める。
気づけば、自分で人生の舵を握っているつもりが、実はスマホが持っていた。
決定打になったのは、ある深夜だった。
コードレビュー後の議論が長引き、ベッドに沈み込みながら「ちょっとだけ」とSNSを開いた瞬間、気づいたら1時間以上経っていた。脳がしんどくて眠りたいのに、手はスクロールを続けてしまう。
正直、このとき自分の中で何かが折れた。
──あ、これ、僕の意志じゃないな。
海外で働くエンジニアとして、メンタルのコンディションはめちゃくちゃ重要だ。特に言語の壁があったり、カルチャーの違いに戸惑ったり、慣れないミーティングの英語で消耗したり。そんなときに、自分の時間までスマホに奪われたら、心の余白なんてほぼゼロになる。
だから、決めた。
「24時間だけ、デジタルを断つ。“デジタル断食”をやってみよう」
きっかけは小さな違和感だったけれど、内心ではずっと気づいていた。
テクノロジーは便利すぎる。
そして僕たちは、便利さの代わりに「自分自身で決める力」を手放し始めている。
特にエンジニアという職業は、仕事でもプライベートでもデジタルに常に触れている。
その状態で24時間切るというのは、単なる不便ではなく、価値観そのものを揺さぶられる可能性がある。
むしろ、その“揺さぶられ”を求めていたのかもしれない。
「本当にスマホがないと生きられないのか?」
「通知がなかったら、朝はどう感じるのか?」
「テクノロジーを使わずに、僕は僕として一日を過ごせるのか?」
そんな疑問が頭の片隅でくすぶり続けていた。
そしてもう一つ、実は隠れた理由がある。
それが──**“スクリーンの外側の自分を取り戻したかった”**ということ。
海外に住んでいると、日本にいる家族や友人とのやりとりもスマホが中心になる。距離がある分、オンラインでつながり続けていたい気持ちもある。
でも同時に、いつのまにか「スマホを通してでしか自分の生活が語れなくなる」感覚に違和感もあった。
もっと目の前の生活や、空気や、音や、人との距離を、ちゃんと感じたい。
そんな気持ちに背中を押され、僕は“デジタル断食のルール作り”に取りかかった。
まず排除するものをリスト化した。
スマホ
PC
タブレット
スマートウォッチ
YouTube
SNS
Slack
Teams
Chatアプリ
Kindle
Bluetoothイヤホン
自動音声で動く家電
Wi-Fiそのもの
ここまで書き出して、軽く笑ってしまった。
──僕、デジタル抜いたら何が残るんだろう?
エンジニアとしての自分。
海外で働いている自分。
日本語と英語の狭間でもがいている自分。
誰かの役に立ちたいと思ってコードを書く自分。
スクリーンの光に照らされてきた“僕”が消えたら、そこに残るのは何か。
ある意味、それを知りたいというワクワクもあった。
そして同時に、怖さもあった。
「通知が来てないか」
「スマホを落としてないか」
「Slackで何か起きてないか」
「今日ミーティングあったっけ?」
「外出したら道わからなくなるよな?」
そう、僕たちエンジニアは“デジタル依存の自立神経”で生きている。
デジタルを切ったときに、心がどんな反応をするのか、全く見当がつかなかった。
だからこそ、やってみる価値がある。
24時間の“デジタル断食”。
スマホもPCも電源を切り、静かな朝を迎える準備をしながら、僕は少しだけワクワクしていた。
デジタルが生み出した便利さの裏にある“本当の自分”に出会えるかもしれない。
そんな期待と不安を抱えながら、僕の挑戦が始まった。
スクリーンのない世界へ一歩踏み出す(サブタイトル:24時間デジタル断食、その最初の衝撃)**(約3000文字)
24時間のデジタル断食を始める朝。
スマホの電源を落とした瞬間、僕の部屋は急に“音のない世界”になった。
言ってしまえば、ただの静寂だ。
でも、この静けさは普段の静けさとは少し違った。
僕はしばらくスマホを手の中でひっくり返しながら眺めていた。
「こんなに重かったっけ?」と思うほど、存在感がある。
スクリーンは真っ暗で何も映らないのに、その“無反応っぷり”が逆にこちらを見つめ返してくるような、妙な感覚があるのだ。
電源を切ったスマホって、こんなに“ただの物体”なんだな──
当たり前のことなのに、今さら気づいて軽くショックを受ける。
もちろん、僕はエンジニアだ。
仕組みも使い方も中身も知っている。
でも、いざ電源を切ると “命が抜けた”ようにただの板になる。
どれだけ僕が毎日、この小さな板に依存していたのか。
まずその事実に、いきなり直面させられた。
■ 朝のルーティンがバグる
歯磨きをする。
顔を洗う。
コーヒーを淹れる。
それだけのはずなのに、いちいち手がスマホを探す。
──ニュースチェックしたい
──天気見たい
──メール来てないか
──今日のスケジュールは?
脳が「次の操作」を探し始めるのだ。
でも、スマホは動かない。
画面は暗いまま。
いつもの“朝の自動化フロー”がそこで停止する。
エンジニアっぽく例えるなら、こうだ。
・普段の僕 → すべてスマホ依存の自動実行スクリプト
・デジタル断食の僕 → 手動モードに切り替えられた不安定なアプリ
普段は意識せずやっていた動作にも、やたら手間がかかる。
天気は?
外を見るしかない。
時間は?
壁のアナログ時計を読むしかない。
ニュースは?
読めない。
メール?
知らない。
SNS?
論外。
Slack?
あったことにすら気づけない。
最初の30分で気づく。
「情報がない」という不安は、想像以上に厄介だ。
でも、もう一つ大きな発見があった。
■ 思考がゆっくりになる
スマホがないと、情報の“押し寄せ”が止まる。
普段は無意識に「次の刺激」を探しているのに、今日はそれがない。
すると、頭の中に“余白”が生まれる。
コーヒーを飲みながら、ただ目の前の景色をぼんやり眺める。
この時間、いつぶりだろう。
スマホを見ながら飲むコーヒーと、
何も見ずに飲むコーヒーって、味が違う。
ほんの少しだけ香りが濃く感じた。
熱さや舌に残る感覚に意識が向く。
──あ、これが“今に集中する”ってやつか。
エンジニアとして、僕は仕事中も常に複数のコンテキストを切り替えていた。
Slackの通知、メール、レビュー依頼、英語ミーティング、タスク管理。
情報が常に押し寄せてくるので、意識は常に未来か過去に飛びがちだった。
けれどスマホを断つと、意識が“今”に戻ってくる。
五感が回復していく感覚。
脳のスイッチが切り替わる瞬間。
これは正直、驚きだった。
■ 外に出てみると、世界が変わって見えた
スマホを持たずに外に出るというのは、想像以上にスリリングだった。
Google Mapsなしで歩くなんて、いつ以来だろう。
まず最初に感じたのは、手の不安。
“スマホを持っていない“という事実が、ポケットの軽さとなって伝わってくる。
軽いのに、重い。
不安なのに、少し爽快。
道を歩きながら、ふと気づいた。
普段なら歩きスマホをしながら下を向いて歩く僕が、今日はまっすぐ前を向いている。
すると、見えるものが全然違う。
空の色がはっきりしている。
建物の影が濃く感じる。
木の葉の揺れがいつもよりゆっくりに見える。
スマホの画面越しではなく、
自分の目で世界を見るって、こんなに情報量が多いんだ。
そんな当たり前のことに、なぜ僕は忘れていたのか。
すれ違う人の表情がよく見えた。
鳥の声が聞こえた。
風の冷たさが肌に“ちゃんと”触れてくる。
まるで世界がフルHDから8K画質へ急にアップグレードしたような感覚だ。
いや、正確には逆だ。
スマホを手放すことで、世界の“解像度”が戻ったのかもしれない。
■ デジタルから離れると、自分と向き合わざるを得ない
人は暇になると不安になる。
だからSNSを開く。
YouTubeを見る。
ニュースを読む。
でも、暇を認めてしまうと、その不安の正体が見え始める。
僕の場合、その正体はこうだった。
「何か大事なものを取りこぼしてるんじゃないか?」
スマホを見ないと“情報の遅れ”を感じるし、
Slackを見ないと“仕事の遅れ”を感じる。
海外で働いていると、そんな焦りは特に強い。
日本語なら瞬時に理解できることも、英語だと少し時間がかかる。
だからこそ「常にオンラインでいなきゃ」というプレッシャーがあった。
でも、それって本当に必要なのか?
オンラインでい続けることが、僕の価値なのか?
スマホを断つと、そんな疑問が次々と浮かんできた。
そして気づいた。
僕は“情報の取りこぼし”じゃなくて、“人生の取りこぼし”をしていたんじゃないか?
本当に大事なものは通知の中にあるんじゃなく、
目の前の現実にあるんじゃないか?
その問いが、僕の心の奥に刺さった。
■ ふと、アイデアが溢れ出してきた
デジタル断食を始めて数時間。
驚いたことが起きた。
──アイデアが次々浮かんでくる。
仕事の改善案。
コードの設計。
ブログのテーマ。
人生の優先順位。
やりたいこと。
辞めたい習慣。
取り戻したいこと。
まるで、脳のメモリ使用率が30%くらい下がって、急にプロセッサが軽く動き出した感じだ。
普段だったら通知や情報で埋め尽くされていた思考領域に、
アイデアが流れ込んできた。
これには驚いた。
「スマホを手放す」とは、「思考を取り戻す」ことなのかもしれない。
■ 最初の“壁”も現れる
順調に思えたデジタル断食に、最初の壁がやってきた。
“退屈”。
昼前、やることがなくなる。
スマホがない生活って、想像以上に空白が多い。
その空白が、逆に自分を試してくる。
──何をしたらいい?
──何が好きだった?
──僕って何にワクワクするんだっけ?
そこで気づく。
スマホって、“やりたいことが分からない人の暇つぶし”としては最高のツールなんだ。
でも、スマホに暇を奪われ続けると、
自分の「本当にやりたいこと」がどんどん見えなくなる。
この“暇”の壁を乗り越えること。
それが、デジタル断食の本当のスタートなのだと思った。
デジタルを断ってまだ数時間。
それでも、僕の中で確実に何かが変わり始めていた。
世界の見え方が変わる。
自分との距離感が変わる。
思考の質が変わる。
でも、それはまだ序章にすぎない。
このあと訪れる“転”では、
僕がデジタル断食の中で経験した
“最大の壁”と“最高の気づき”が待っている。
静寂の中で見えてきた、本当の自分(サブタイトル:デジタルから離れたとき、心が暴れ出した)**(約3000文字)
昼過ぎ。
デジタル断食開始から約6時間。
静寂に慣れてきたはずなのに、このあたりから急に心のざわつきが強くなった。
最初はただの“暇”だった。
でも、時間が経つにつれて、その暇は不安に変わる。
“あれ? 今日はSlackで何か動きあったっけ?”
“メールの返信遅れて怒られてないかな?”
“ミーティング、今日なかったよな? 本当に?”
スマホがないだけで、思考が一気に不安の方向へ振れる。
しかも、その不安には“確かめる手段”がない。
デジタルを断つと、情報の裏付けがゼロになる。
それが、想像以上に怖い。
エンジニアとして、そして海外で働く身として、
“知らない”という状態にはとことん弱い。
把握できない状況はストレスになる。
ここで、僕の脳は2つの反応を起こした。
①「確認させろ」という衝動
②「だったら考えるな」という拒絶
この両方が頭の中でぶつかり、軽い混乱が起きた。
デジタル断食は、「スマホを使わない」という単純なチャレンジではなかった。
“不確実性に耐えるかどうか”という、もっと深いメンタルの実験だった。
■ 心の声がうるさくなる
午後に差し掛かったころ、
僕は外に散歩に出ることにした。
理由は単純。
家にいると「スマホがない」という事実を忘れられなかったからだ。
ポケットの軽さがストレスに変わっていくのを感じたからだ。
外に出ると、それは少しだけ和らぐ。
風の音、人の声、車の音。
リアルな世界は、スマホよりずっと静かで、ずっと優しい。
でも、それでも心は騒いでいた。
“何か忘れてないか?”
“今日って何の日だっけ?”
“仕事で問題起きてない?”
理由のない不安がじわじわ広がる。
そのとき、気づいてしまった。
僕の不安の大半は、スマホによって生み出されていたんじゃないか?
普段、スマホを開くと通知が目に入る。
英語の長文メッセージを見るだけで、体が反応する。
Slackの赤いバッジを見るだけで、心拍数が上がる。
“何が起きているか知らない”という不安じゃない。
“いつでも何か起きている可能性がある”という不安だった。
スマホがある限り、心は常に落ち着かない。
その事実に気づいた瞬間、
胸の中で長年つかえていた何かが「カチッ」と音を立てて外れた気がした。
■ スマホ依存の正体は「安心したい」という欲求だった
夕方、散歩から戻った頃、
僕の心はようやく静かになり始めた。
不思議なことに、
「スマホを確認できない」という不安は、
「もう確認しようがない」という諦めに変わっていった。
すると、心の別の場所が軽くドアを開けた。
──なんで僕は、こんなにスマホを手放すのが怖かったんだろう?
答えは意外とシンプルだった。
**「安心したかったから」**だ。
・通知を追いかければ安心
・メッセージをすぐ返せば安心
・情報を常に持っていれば安心
スマホを使うのは、
“情報を手に入れるため”でも
“便利だから”でもなかった。
不安を抑えるために、スマホを握りしめていた。
そのことに気づいた瞬間、
僕は深く息を吸い込んだ。
胸が少し痛かったけど、それは不安じゃなくて、
長年見ないふりしていた本音が顔を出したからだった。
■ 手帳を開いた瞬間、思わぬ出来事が起きた
夕方になり、暇つぶしに手帳を開いた。
スマホが使えないから、紙しかない。
白いページを眺めていると、
自然とペンを握りしめて文字を書く手が動き出した。
何を書いたのか、正直覚えていない。
ただ、心の中で溜まっていたものが、
文字になって溢れ出していく感覚があった。
気づいたら、2ページびっしり埋まっていた。
書きながら気づいたことがある。
デジタルは“入力”に圧倒的に強い。
でも、“出力”には紙のほうが強い。
・考えが深くなる
・自分の感情に気づく
・言葉がじっくり出てくる
・何が大事なのかが浮き彫りになる
僕は今まで、スマホでメモを取ることで
「思考している気」になっていた。
でもそれは違った。
思考とは、
情報を受け取ることではなく、
自分の内側の声を聞くことだった。
紙の上で思考することで、
僕はようやく“本当の意味での考える”を取り戻した。
■ そして、ついに“最大の壁”が訪れる
夜。
街は静まり、僕の部屋も暗くなった頃。
ここで、予期していなかった“最大の壁”がきた。
それは──孤独感だ。
昼間の不安とは違う。
もっと深くて、もっと個人的な感情。
スマホがないと、
“誰とも繋がっていない感覚”になっていく。
家族のLINEも見られない。
友達のSNSも見られない。
仕事仲間とも繋がれない。
海外で暮らしている僕にとって、
デジタルは“距離を埋めてくれる唯一のツール”だった。
それを断った瞬間、
体の奥にあった孤独が、白い霧のように立ち上がってきた。
これは正直、つらかった。
“僕は一人なんだ”
頭では分かっていたけれど、
スマホがあることで誤魔化せていた現実だった。
その孤独が、胃のあたりをぎゅっと掴んで離さない。
でも、この瞬間に重大な気づきがあった。
■ 「孤独」と向き合うと、自分が何を求めていたかが分かる
孤独と向き合う時間は、決して楽しいものじゃない。
逃げたくなる。
スマホを開きたくなる。
でも、スマホがない今、逃げようがない。
だから、僕は自分に質問してみた。
“僕は、何に怯えているんだ?”
返ってきた答えは、思いがけないものだった。
「誰かに必要とされていたい」
「誰かの役に立っていたい」
「つながっていたい」
エンジニアとして海外で働く日々。
言語の壁、文化の違い、成果を求められるプレッシャー。
そのすべてが、僕を少しずつ孤独にしていた。
だから“つながり続けてる感覚”が欲しくて、
スマホを手放せなくなっていたのだ。
けれど、そのつながりは本当のつながりだったのか?
通知の向こう側に、人の温度はあったのか?
メッセージのやり取りは、本当に心を通わせていたのか?
僕はようやく理解した。
スマホはつながりをくれるけど、
孤独を癒してくれるわけじゃない。
孤独と向き合ったとき、
初めて“本当のつながりの価値”が見えてきた。
そしてこの瞬間、
デジタル断食の本当の意味が、
胸の奥にストンと落ちてきた。
■ 不思議なことに、心が静かになった
孤独と向き合いきったあと、
不思議なくらい心が静かになった。
まるで、長年絡まっていた糸が、一気にほどけたようだった。
外は暗くて静か。
部屋も静か。
スマホも静か。
でも、心の中だけは、
ゆっくりと明かりが灯っていくような感覚があった。
そのとき思った。
「ああ、これが“本当の休息”ってやつなんだ」
情報に追われる生活では、
体が休んでも心は休まらない。
デジタルを断つことで、
心の奥底に積もっていたノイズが静まり、
ようやく呼吸が深くなった。
デジタル断食の夜は、
僕にとって予想外の“心のメンテナンス”になった。
そして翌朝──
“結”では、この体験の結果として
僕に何が起きたのか、
どんな変化が生まれたのかを語る。
それは、ちょっと驚くほど大きな変化だった。
スクリーンの外側に戻ってきたエンジニアが見た世界(約3000文字)
24時間のデジタル断ちが終わった瞬間、私は反射的にスマホへ手を伸ばしそうになった。しかし、その直前にふと躊躇した。
――本当に今、触る必要ある?
そう自問したとき、「起」で描いた“朝からスマホに吸い寄せられていた自分”との違いに気づいた。デジタル断ちの経験は、私の中の“無意識の習慣”にブレーキをかけてくれていた。
もちろん、24時間デジタルを断ったからといって人生が劇的に変わるわけではない。技術を捨てることもできないし、エンジニアとしてはむしろ毎日がデジタルの中にある。それでも、この小さな24時間は、普段は絶対に気づかない“心のノイズ”を静かにしてくれた。
■ スクリーンがない世界で、忘れていた“自分の速度”に戻れた
デジタル断ち中、私は久しぶりに“時間が伸びた感覚”を味わった。
スマホを触らなければ数分の隙間時間を埋める必要もなく、急ぎの返信もない。誰からも通知が来ないというだけで、頭の回転がゆっくり、穏やかになっていくのを感じた。
エンジニアとして海外で働いていると、Slack、Teams、メール、Jiraなどに1日中追いかけられているような気分になる。コミュニケーションの速度は文字通り“世界基準”だ。少しでも返事が遅れれば、時差もあって進捗が止まる。
そのプレッシャーに気づかないまま、私は毎日の生活に“加速しすぎた速度”を持ち込んでいた。
しかし、スマホもPCも使わない状態に一日身を置いてみると、人間本来の速度に戻る感覚があった。
「焦る必要がない」という状態が、こんなにも呼吸を軽くしてくれるとは思っていなかった。
■ デジタルを“浴びる側”から、“選ぶ側”へ
最も大きかった変化は、デジタルとの付き合い方が「無意識 → 意識的」に変わったことだ。
普段はスマホの通知に反応し、アルゴリズムに勧められた動画を見て、メッセージが来れば返し、AIアプリを開けばすぐに作業が始まる。
私はデジタルを使っているつもりで、実は“使われている側”だった。
24時間断ったあとは、逆にこう考えるようになった。
- 今、スマホを触る必要があるか?
- この通知は本当に私が反応しなければいけないのか?
- この情報は今の自分に必要なのか?
- これはただの暇つぶし、それとも本当に価値ある時間?
“選ぶ”視点があるだけで、デジタルとの距離が一気に変わった。そしてこれは、エンジニアとして働く上で非常に大きな差になる。
なぜなら私たちは、常に情報に触れすぎている。
触れすぎているせいで、「本当に大事な情報」がぼやけていく。
24時間のデジタル断ちは、それに気づかせてくれた。
■ 海外生活とデジタル依存は、実はセットになりやすい
海外でエンジニアとして働いていると、スマホは“生命線”だ。
- Google Maps がないと迷子になる
- 翻訳アプリがないと会話が詰まる
- SNS がないと孤独になる
- Slack がないと仕事が進まない
だからこそ、デジタルに依存するのは自然なことだ。
私も例外ではなく、むしろ国内にいた頃より依存度は高くなっていた。
しかし、依存が強いからこそ、あえて離れる時間を作ることは価値がある。
今回デジタル断ちをしてみて分かったのは、
「デジタルは大事だが、ずっと触れている必要はない」
という当たり前の事実だ。
離れてみて、その重要性がよりはっきり理解できる。
そして“距離を取るスキル”が身につくと、日常の疲れ方が驚くほど変わる。
■ この経験が、仕事にも人生にも効きはじめている
24時間のチャレンジは終わったが、そこで得た気づきは続いている。
- 通知を必要最低限にした
- 朝最初の1時間はデジタルに触れないようにした
- 週に一度はスマホを家に置いて散歩した
- 思考を深めたいときはPCの電源を切るようにした
小さい変化だが、仕事の集中力も、日常の満足度も上がった。
特に「情報に振り回されない感覚」は、海外で働くエンジニアにとっては非常に大きい。
なぜなら、異国で働く私たちは常に“環境の変化”に適応し続けているからだ。
デジタルのノイズを減らし、頭の中のスペースを確保することは、メンタルの安定とパフォーマンスの両方につながってくる。
■ 最後に──24時間だけ、世界をオフにしてみてほしい
もしこの記事を読んでいるあなたが、
「最近なんか疲れたな…」
「仕事の密度が濃くて、ずっと頭がざわざわする」
「SNSを開くのが癖になっている」
と少しでも感じているなら、ぜひ一度、試してみてほしい。
24時間でいい。
逃げるんじゃなくて、“静かさに身を置いてみる”つもりで。
すると、スクリーンの外側の世界が意外なほど豊かで、
意外なほど心地よくて、
意外なほど、自分を回復させてくれることに気づくはずだ。
そして最後に思うだろう。
「ああ、デジタルは大事だけど、全部じゃないんだな」
結局、この気づきこそが、
デジタルと向き合う私たちエンジニアに必要な“本当のオフスイッチ”なのだと思う。

コメント