- それは、ある”軽率な一言”から始まった
- 🔹アメリカの“信頼”は「知識」じゃなく「態度」で積まれる
- 🔹“間違いを指摘する”より、“学ぶ姿勢を見せる”
- 🔹信頼されるエンジニアとは、“安心して議論できる相手”
- 🔹僕の“痛恨の一言”が教えてくれたもの
- 信頼のリカバリーは、“謝ること”から始まった
- 🔹勇気を出して、非公開の1on1で謝った
- 🔹謝罪よりも「アップデートされた姿勢」を見せること
- 🔹「信頼」とは、共感の総量
- 🔹最初にミスをしたからこそ、得られた“第二の信頼”
- チームが変わっても、信頼される人は“態度”で分かる
- 🔹「技術より先に、自分を翻訳する力」
- 🔹レビューで“対話”が生まれる書き方を実践
- 🔹“技術の正解”より、“お互いにアップデートできる関係”
- 🔹文化が違っても、“人の心の動き”は意外と似ている
- 信頼とは、“相手に余白を残せる人”のことだった
- 🔹信頼とは、「沈黙が怖くない空気」をつくれる人
- 🔹“弱さを出せる人”が、国境を越えて信頼される
- 🔹信頼される人は、“安心してツッコミを入れられる人”
- 🔹技術力は、信頼の「入り口」ではなく「出口」だった
- 🔹最後に:僕が“信頼のルール”を知ってから変えた3つのこと
それは、ある”軽率な一言”から始まった
「え、これ日本ならレビュー通らないですよね?」
そんな軽口を叩いたのは、シアトルの開発チームにジョインしてまだ2ヶ月も経っていない頃だった。
リモート会議中、コードレビューの場面。僕の目にはどうしても“詰めが甘い”と映った実装に対して、思わず口をついて出たこの一言が、後に自分に返ってくるとは思ってもいなかった。
相手はReact側のフロントエンドエンジニア。僕とは別領域だけど、フルスタック気味に動いている人だった。向こうはやんわり笑いながら「そうなんだ、日本ではそうなの?」と返してくれたけど、会議が終わったあとの空気は、どこかよそよそしくなった気がした。
僕の頭の中には、「レビューって改善のためにやるものでしょ?思ったことはちゃんと言わないと。」という“正義感”があった。でも、それは完全に“日本の現場”でのローカルルールだった。
🔹アメリカの“信頼”は「知識」じゃなく「態度」で積まれる
日本では、「専門性が高い」「詳しい」ことで信頼を得ることが多い。でも、アメリカではちょっと違った。
このときの僕は、「レビューでは論理で説得することが正義」「正しいことを言えば評価される」と思っていた。でも実際は、“その伝え方”がすべてだった。
例え相手の実装に問題があったとしても、それを“どう伝えるか”によって、信頼されるか、警戒されるかが決まる。
しかも厄介なのは、アメリカでは「言葉の裏」をあまり読まないという点。
日本人が言う「それ、ちょっと気になりますね…」は、「それ、直して」というニュアンスだけど、アメリカ人にとってはただの“曖昧なコメント”で終わることが多い。
逆に、「That’s not acceptable in Japan.」みたいな文脈で言ってしまうと、相手を個人攻撃されたように感じさせてしまうことがある。
🔹“間違いを指摘する”より、“学ぶ姿勢を見せる”
この失敗のあと、僕は考えを180度変えた。レビューでは「上から目線」よりも、「一緒によりよくしよう」というスタンスを意識するようになった。
たとえば:
- Before:「これ、日本だと通らないですね」
- After:「面白いアプローチですね。ちなみに、日本だとこういうパターンが多かったですが、こちらではこういう書き方が一般的なんですか?」
相手の視点を尊重しつつ、自分の経験も出す。それによって「異文化間の知見を持ち込む人」として認識され始めた。
🔹信頼されるエンジニアとは、“安心して議論できる相手”
日本では“技術力がある人=信頼される人”という構図が強い。でも、海外、特にアメリカでは「一緒に仕事をして安心できる人」が信頼される。
つまり、「質問してもバカにされない」「違う意見を言っても怒られない」──そんな空気感を作れる人が、チームの中で頼られていく。
この視点を持てるようになってから、僕の評価は少しずつ変わっていった。Slackで意見を求められることが増え、仕様ディスカッションでも「What do you think?」とよく声がかかるようになった。
🔹僕の“痛恨の一言”が教えてくれたもの
あの軽率な一言は、僕に「正しさよりも対話」「意見よりも姿勢」という教訓を残してくれた。
技術的な正解を出すことよりも、「どう共に歩むか」が問われるのが、アメリカのエンジニアリング文化。
異国でエンジニアとして生きるというのは、言葉や技術以上に「異なる信頼の作法」を身につけていく旅なんだと思う。
信頼のリカバリーは、“謝ること”から始まった
Slackのスレッドは、しばらく静かだった。
あのレビュー会議の翌週、何気ないテクニカルな話題でも、僕の発言には誰もリアクションを返さなくなっていた。
それまであった軽いツッコミやスタンプすらなくなり、まるで“空気のように”扱われているような感覚だった。
「これ、やばいやつかも…」
自分で自分にそうツッコミを入れながら、僕は静かに気づいていった。
**“悪気がなかった”は、相手にとって関係ない。大事なのは「どう受け取られたか」**だと。
🔹勇気を出して、非公開の1on1で謝った
同じチームのシニアエンジニアに、「ちょっと時間をもらえますか?」とDMを送った。
レビューで指摘した相手じゃない。でも、雰囲気を立て直すには、誰かに素直に話す必要があると思った。
1on1の冒頭、僕は率直にこう言った。
“実は、先日のレビューでちょっと言いすぎてしまったかもしれません。日本での感覚でコメントしてしまって…あとで反省しました。”
彼はしばらく黙ってから、こう言ってくれた。
“Thanks for sharing that. You know, I actually noticed that people became a bit hesitant. But acknowledging it like this? That takes courage.”
その一言で、正直涙が出そうだった。
🔹謝罪よりも「アップデートされた姿勢」を見せること
この日から、僕の中でひとつルールを決めた。
「英語で話す前に、“相手の背景”を想像する」
たとえば、以下のように変えた:
- Before:「これはリファクタリングすべきですね(日本語脳)」
- After:「Do you think there’s any room to simplify this part? I’ve seen similar logic patterns before in JP projects. Just curious.」
“Just curious.”、“I’ve seen before.”、“Do you think…”
こうした「探る形」で会話を始めるだけで、チームの反応がまるで変わった。
**「評価される言い方」より、「安心される話し方」**にシフトしたのだ。
🔹「信頼」とは、共感の総量
日米の現場で感じた大きな違いは、信頼の生まれるプロセスそのものだった。
- 日本:結果や実力がまずあり、そのうえで人格が信頼される
- アメリカ:まずは人として“信頼できそう”と思われ、そのあとスキルが信頼される
つまり、スキルで信頼を勝ち取ろうとする前に、**「この人と話しやすい」「この人と働いて嫌じゃない」**というベースがなければ、土俵にも立てない。
これは意外と盲点だった。
日本のエンジニア文化では、“技術が全てを超える”ような幻想がある。
でも海外では、「技術があっても、扱いにくい人」は自然と外されていく。
🔹最初にミスをしたからこそ、得られた“第二の信頼”
僕のミスは、最初の“信頼ゲージ”を一気に下げた。でも、そのあと正直に対話をしたことで、「この人は変われる」「話せば伝わる」という**“第二の信頼”**を手に入れることができた。
今では、チームメンバーが新しく入ってくると、僕に相談してくれることが多い。
「レビュー文化で困ってない?最初戸惑うよね」と、僕が“最初に失敗した人”だからこそ、共有できるものがある。
チームが変わっても、信頼される人は“態度”で分かる
アメリカでの最初の案件を終えたあと、僕は新しい会社に移った。いわゆる外資系×リモート前提のフル分散チーム。
タイ、スウェーデン、ブラジル、インド、そして僕──文化もタイムゾーンもバラバラ。
でも、不思議なことに“信頼のパターン”は、あのシアトルの時と同じだった。
🔹「技術より先に、自分を翻訳する力」
新しいチームでも、最初に意識したのは“自己紹介”のしかた。
技術的スキルを書く前に、「どういうスタンスで働いてきたか」「どんな風にチームと関わるか」を言語化した。
初回ミーティングのSlack挨拶文には、こう書いた:
Hi all, I’m Hiro from Japan 🇯🇵
My focus is mainly UI design and architecture using WPF and MVVM.
I’m still learning a lot from global teamwork and love to improve how we communicate across cultures.
Please feel free to point out anything — I appreciate feedback and shared learning!
これが意外と好評だった。
「Your message is really thoughtful!」
「Love the mindset」
──こんなふうに、挨拶ひとつで空気が温まったのを感じた。
スキルの前に“姿勢”を出すことが、信頼の種まきになる。
これは、前職の“痛み”から得た最大の学びだった。
🔹レビューで“対話”が生まれる書き方を実践
その後のコードレビューでは、徹底的に**「問いかけ型コメント」**を意識した。
例:
- ❌「このロジックは無駄が多いと思います」
- ⭕「Curious if we could simplify this a bit for better readability? Just thinking out loud!」
- ❌「ここはパターンに従ってないです」
- ⭕「Interesting choice! I usually see another pattern in similar cases. Was there a reason for this approach?」
こうすることで、コメントが一方通行ではなく、“議論のきっかけ”になる。
しかも、僕のコメントを見たチームメンバーが、徐々に同じようなスタイルで返してくれるようになった。
「レビューの空気って、伝播するんだ」と体感した。
🔹“技術の正解”より、“お互いにアップデートできる関係”
ある日、インドのバックエンドエンジニアからSlackでDMが来た。
“Hey Hiro, I really appreciate how you give feedback. It never feels like criticism. It makes me want to improve.”
この言葉に救われた。
かつて「正しいことを言えば信頼される」と信じていた自分が、**「正しさよりも、安心感をつくる人間でありたい」**と思うようになっていたから。
海外の現場で感じるのは、「上に立つエンジニア像」=「議論を仕切れる人」じゃないということ。
むしろ、「議論しやすい雰囲気を作る人」こそが、リーダー的な存在として信頼されていく。
🔹文化が違っても、“人の心の動き”は意外と似ている
このグローバルなチームで、僕が意識してきたことは以下の3つに集約される。
- 相手の「正しさ」をまず尊重する
- 自分の意見は“提案”として出す
- 失敗しても、対話で回収できると信じる
そしてこれは、たとえ文化が違っても、人間関係における共通言語だと感じている。
日本であれ、アメリカであれ、ブラジルであれ──「この人なら大丈夫」と思ってもらえる態度には、やっぱり共通項があるのだ。
信頼とは、“相手に余白を残せる人”のことだった
海外で働くエンジニアとして数年が経ち、今ふと立ち止まって思う。
「信頼される人って、どんな人だろう?」
かつての僕は、“技術力のある人”を目指していた。
WPFのアーキテクチャを語れたり、MVVMパターンを極めたり、レビューで他人のコードの改善点を鋭く指摘できたり──そんな“実力”で信頼を得ようとしていた。
でも、今の僕が思う「信頼されるエンジニア像」は、まったく別の方向にある。
それは、**“相手が話しやすくなる余白を作れる人”**だ。
🔹信頼とは、「沈黙が怖くない空気」をつくれる人
文化も国籍も異なるグローバルな現場では、どんなにスキルがあっても、“話しづらい人”は自然とチームから距離を置かれてしまう。
逆に、完璧じゃなくても、「この人なら大丈夫」と思われる人は、言葉に詰まっても、仕様を勘違いしても、必ず周囲がフォローしてくれる。
この“安心感”は、コードの書き方よりも、会議での一言、レビューでの書き方、チャットのトーン──
つまり**「態度」から生まれる。**
そしてそれは、日本で完璧主義的に鍛えてきた“正しさの圧”を、いったん脇に置く勇気から始まる。
🔹“弱さを出せる人”が、国境を越えて信頼される
ある日、フルリモートで進めていたプロジェクトで大きなバグが起きたとき、僕はSlackにこんな投稿をした。
“This one is totally on me. I missed the validation step. Thanks for catching it. I’ll fix it right away.”
誰かを責めるでもなく、言い訳もせず、自分の責任として受け止めた投稿に、メンバーから意外な反応があった。
“Respect, Hiro. That’s how we grow.”
“Appreciate your honesty. No worries — we’ve all been there.”
日本だったら「失敗を認める=信用を失う」場面にもなりかねないが、海外ではむしろ「透明性」として評価される。
自分の非を率直に認められる人は、“自分を過剰に守らない人”として信頼される。
そして、そういう人には、自然と“人が集まる”。
🔹信頼される人は、“安心してツッコミを入れられる人”
これは、日本ではあまり語られない視点だけど──
「指摘できる雰囲気を持つ人」こそ、信頼されている証拠だ。
たとえばレビューで、
“Looks good! Just one small nit — spacing is a bit off here 😅”
なんて冗談交じりでコメントが来るのは、“お互いにツッコんでも大丈夫”という相互信頼があるから。
言い方を変えれば、「完璧じゃない余白」こそが、信頼を生む“隙”になる。
僕はそれを、自分の“日本的な完璧主義”から学び直す必要があった。
🔹技術力は、信頼の「入り口」ではなく「出口」だった
海外に出る前、僕はずっと「技術で信頼されたい」と思っていた。
でも実際は、信頼されるようなコミュニケーションができる人が、技術的な相談をされ、機会を与えられ、実力を発揮できるという順序だった。
つまり、**スキルは「信頼を得る手段」ではなく、「信頼された人が活かす手段」**だったのだ。
この順番を間違えると、どれだけ能力があっても、評価されないまま終わることもある。
だからこそ、まずは「一緒に働きたいと思わせる人」であることが、海外では最も大きな武器になる。
🔹最後に:僕が“信頼のルール”を知ってから変えた3つのこと
- レビューは“上からコメント”ではなく、“問いかけスタイル”で書く
→ 相手の意図を引き出す姿勢が信頼を生む。 - 失敗は隠さず、あえてSlackでシェアする
→ 弱さを見せられる人は、“透明性のある人”として評価される。 - 初対面では“スキル”より“姿勢”を伝える
→ 相手が心を開きやすい土台を先につくる。
🌍海外で働きたいあなたへ
海外でエンジニアとして生きるというのは、英語を話せるようになることでも、技術を尖らせることでもない。
本質は、「文化の違う相手と、どう信頼関係を築くか」という対話の連続だ。
僕もまだ発展途上だけれど、失敗したからこそ学べた信頼のあり方が、今の自分の働き方の芯になっている。
“正しい”より、“話したくなる”。
“完璧”より、“安心できる”。
そんなエンジニア像を目指す旅は、海外でも、日本でも、きっと価値がある。

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