出会い
僕とナシゴレンの出会いは、ある意味で必然だったのかもしれない。インドネシア赴任の初日、ホテルの朝食ビュッフェにずらりと並んだ料理の中で、ひときわ香ばしい匂いを放っていたのが、茶色く炒められたご飯の山だった。横に置かれた小さな札には「Nasi Goreng」と書かれていた。正直その時は「ただの炒飯でしょ?」くらいにしか思わなかったのだが、ひと口食べた瞬間に脳がカチッとスイッチを入れられた。
口に広がる甘辛いソースの風味。サンバルの辛さがじわりと追いかけ、目玉焼きの黄身がその刺激を優しく包み込む。そして添えられたエビせん――これがまた、パリッと軽快に食感を加えてくる。まるで「君は今日から僕の虜になるんだ」と、料理そのものに囁かれているようだった。いや、完全にしてやられた。
それからというもの、僕の日常にナシゴレンは深く入り込んでいった。最初は週に1回程度。「せっかくだから現地のものを楽しもう」なんて自分に言い訳をしていた。だが、仕事帰りに屋台の明かりを見るとつい足が止まり、気づけば毎日のように「ひと皿だけ」と注文してしまう。屋台のおじさんは僕の顔を覚え、言葉を交わさなくても勝手に目玉焼きをのせてくれるようになった。あの頃、僕の胃袋はすでにナシゴレン専属契約を結んでいたようなものだ。
「ナシゴレンは野菜も入っているし、卵ものっているからバランスいいでしょ?」――当時の僕の定番の言い訳だ。実際は油たっぷり、味付け濃いめ、ご飯の量も日本の茶碗2杯分はあっただろう。でも、その罪悪感すら、最初の一口でどこかに消え去ってしまう。ストレスの多い海外勤務の中で、ナシゴレンは僕にとって一番手軽で、一番安心できる「ご褒美」になっていたのだ。
やがて、朝食にもナシゴレンが顔を出すようになった。ホテルのビュッフェで「洋食」「和食」「ナシゴレン」の三択があれば、迷うことなくナシゴレンを皿に盛った。昼は同僚に誘われてローカル食堂でナシゴレン。夜は屋台でテイクアウトしてアパートでナシゴレン。気づけば一日三食ナシゴレンの日すらあった。日本にいた頃の「三食カレーでも大丈夫!」という学生ノリを思い出すが、社会人になってまでそんな食生活を繰り返すとは思っていなかった。
それでも、不思議と飽きが来ない。味のバリエーションが豊富だからだ。鶏肉入り、海老入り、牛肉入り。あるいはちょっと高級感を出して、サテ(串焼き)と一緒に食べたり。どれも同じナシゴレンなのに、微妙に違う顔を見せてくる。気分や体調に合わせて“カスタム可能”なところが、僕をさらに深い沼へと引きずり込んだ。
仕事でクタクタになった夜、屋台の香りに誘われて一皿平らげる瞬間の幸福感は、何物にも代えがたい。異国での孤独感やストレスが、スプーンを持つ右手と一緒に解けていくような気がした。いつしか「ナシゴレンを食べないと一日が終わらない」と思うほど、僕の生活のリズムと心の支えになっていた。
ただ、この時の僕はまだ知らなかった。ナシゴレンとの蜜月が、やがて「終わりの見えない依存生活」へと変わっていくことを。そして、その先に待ち構えている“現実”の厳しさを……。
依存
ナシゴレン生活が続くうちに、僕はある種の「ルーティン」にハマっていった。朝起きてナシゴレンを食べると、「よし、今日も一日頑張れる」とスイッチが入る。昼に食べると「午後の会議もなんとかなる」と根拠のない安心感が生まれる。夜に食べると「今日の疲れは全部チャラ」とリセットされる。完全に“ナシゴレン依存型の生活サイクル”が完成していた。
同僚から「またナシゴレン?」と笑われるのも日常茶飯事。最初のうちは「いやいや、安いしうまいからだよ」と軽く返していたが、ある日、社内のカフェテリアで別の日本人駐在員にこう言われたのだ。
「君、ナシゴレンを主食っていうか…呼吸するように食べてるよね?」
呼吸と同列に語られた時点で、あ、ちょっとヤバいかもなと心の片隅で思った。
だが、依存というのは気づいてもやめられないから依存なのだ。僕の食生活はさらに加速していく。仕事帰り、アパートに直帰すれば済む話なのに、わざわざ遠回りしてお気に入りの屋台に立ち寄る。スマホの写真フォルダを開けば、ほとんどがナシゴレン。食べる前に写真を撮って「今日は海老が多め」とか「目玉焼きの半熟具合が神」なんて一人で呟いていた。完全に“ナシゴレンインスタグラマー未遂”状態である。
そんな日々の中、ある小さな変化が僕を不安にさせた。
――ズボンが、きつい。
赴任当初は少し余裕があったはずのスラックスが、いつの間にか腹回りを圧迫していた。ベルト穴を一つずらすのは簡単だ。でも、それを繰り返した先に待っているのは、見たくもない現実だった。
さらに、午後になると強烈な眠気に襲われるようになった。会議の最中、プロジェクターのスライドを見ながら意識がふっと飛ぶ。上司から「大丈夫?昨夜飲みすぎた?」と心配されても「いや、ナシゴレンのせいです」とは口が裂けても言えない。実際、昼に食べたあの油とご飯の塊が、僕の血糖値をジェットコースターのように急上昇させ、その反動で眠気を叩きつけていたのだろう。
仕事への影響も出始めた。エネルギー補給のつもりで食べたはずが、午後にはパフォーマンスがガタ落ち。提出した資料には誤字脱字が増え、会議中の発言は支離滅裂。「アイデアが枯れたんじゃないか?」と真顔で言われたこともある。違う、枯れたんじゃなくてナシゴレンで満たされすぎただけだ。だが当然そんな言い訳はできず、内心で「これは依存だ」と認めざるを得なくなっていった。
そして追い打ちをかけるように、健康診断の結果が返ってきた。
血糖値、わずかに基準値オーバー。
中性脂肪、要経過観察。
医師のコメント欄には「食生活の改善を推奨」とそっけなく書かれていた。
正直、その紙を見た瞬間は「まあ、誤差でしょ」と思った。だが夜になると屋台のナシゴレンを目の前にしながら、「これ一皿でどれくらい油と炭水化物が入ってるんだろう?」と妙に気になってしまう自分がいた。スプーンを口に運ぶたびに、「これは将来の医療費先払いでは?」という不安がよぎる。それでも止まらない。結局完食してしまう。罪悪感をスプーンでかき混ぜながらも、最後の一粒まで食べ切る。ここまでくると、もう立派な依存症患者の行動パターンだ。
極めつけは、夢にまでナシゴレンが出てきたことだ。目の前に無限に盛られたナシゴレンを、汗をかきながら食べ続ける夢。朝起きて「よかった、夢か」と思った直後に、本物のナシゴレンを朝食に食べていた。夢と現実の境界線が消えかけていることに、さすがの僕も笑えなくなった。
それでも「やめよう」とまでは思えなかった。なぜなら、ナシゴレンは僕にとって「異国での安心剤」だからだ。慣れない仕事、文化の違い、言葉の壁。そんな中で、どんな日でも裏切らずに僕を満たしてくれるのがナシゴレンだった。頭ではわかっている。「このまま続けるとまずい」と。でも、心と胃袋が「まだ大丈夫、今日だけだから」と甘い言葉をささやいてくる。
こうして僕のナシゴレン依存は、静かに、しかし確実に進行していった。
葛藤
ある夜、いつものように屋台でナシゴレンをテイクアウトしてアパートで食べていた時のことだった。テレビのニュースキャスターがインドネシア語で何か深刻そうに話していたが、僕の耳には入らない。ただ、ナシゴレンをスプーンですくう音と、自分の咀嚼音だけが響いていた。食べ終えた後、突然、心臓がバクバクと異常に早く脈打ち始めた。胸の奥に不快な圧迫感があり、呼吸も浅くなる。汗がにじみ出て、手が震えた。「あ、これ、やばいかも…」と直感した。
翌日、観念して現地の病院へ行った。診察室に入ると、白衣を着た医師がカルテを片手に僕をじっと見た。通訳を介しながら一通り症状を説明すると、医師は「食生活はどうですか?」と尋ねてきた。その瞬間、僕の脳内にこれまで食べてきたナシゴレンの山が走馬灯のように流れた。正直に答えるしかなかった。
「……ほぼ毎日、ナシゴレンを食べています」
医師は軽く眉を上げてから、まるで「またか」という顔でうなずいた。
「ナシゴレン、油分と炭水化物が多いです。あなたの場合、糖質の摂りすぎと、油の過剰摂取が一番の問題です」
そう言いながら医師はホワイトボードにマーカーで図を書き始めた。僕の血糖値の推移を線で描き、その上下の幅を強調する。
「食べた後に血糖値が急上昇し、その後急降下する。これが眠気、集中力低下、そして将来的には糖尿病のリスクにつながります」
さらに続けて、「油の摂りすぎは中性脂肪を増やし、動脈硬化や心疾患のリスクを高める」と説明された。医師は真剣な顔でこう付け加えた。
「あなた、まだ若いから症状が軽い。でも、このまま続けると40代で糖尿病予備軍、50代で心筋梗塞や脳梗塞の可能性がありますよ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内に「未来の僕」が現れた。病室で点滴を受けながら「ナシゴレン、もう一口だけ……」とつぶやく哀れな姿だ。いや、笑えない。心臓の鼓動が早まるのは病気のせいなのか、それとも医師の言葉のせいなのか、もう分からなかった。
さらに追い打ちをかけるように、医師は数字を突きつけてきた。
「ナシゴレン一皿、おおよそご飯250gで炭水化物は90g前後。これだけで日本人男性の一日の推奨量(約260g)の3分の1以上を占めます。さらに油が大さじ2〜3杯、ナトリウムもかなり多い。あなたが一日2〜3回食べれば、それだけで基準を大幅に超える」
冷静なデータは、どんな説得よりも強烈に響いた。僕はうなだれながら「……先生、僕、どうすればいいですか」と聞いた。
医師の答えはシンプルだった。
「やめなさい。せめて週1回までに減らしなさい」
それはまるで、毎日コーヒーを飲んでいる人に「明日から一切飲むな」と言うのと同じ残酷さだった。僕の心の中で「え、そんな急に絶縁宣言?」と叫ぶ声が響いた。
それから僕の「ナシゴレン断ちチャレンジ」が始まった。だが、これが想像以上に難しい。仕事帰り、屋台の香ばしい匂いが風に乗って鼻を刺激してくる。「今日は我慢」と言い聞かせながらも、気がつけば財布を開いて注文している。手が勝手に動いてしまうのだ。
そこで僕は作戦を考えた。
- 代替食作戦
ナシゴレンの代わりにチャーハンを作ってみた。オリーブオイルを使い、野菜を多めにしてヘルシー仕様。「これなら満足できるだろう」と思ったが、一口食べて絶望した。足りない。あの甘辛いケチャップマニスの味がないと、まるで砂を噛んでいるようだ。すぐに冷蔵庫を開け、隠しておいたケチャップマニスを取り出し、「少しだけ」と加えてしまった。結果、ほぼナシゴレンになった。 - 距離を置く作戦
屋台の前を通らないように、わざわざ遠回りして帰宅することにした。しかし、インドネシアの街には至るところに屋台がある。遠回りすればするほど別の屋台が現れる。結局、「今日はこっちの屋台で食べよう」と新しい出会いを増やしただけだった。 - 同僚巻き込み作戦
「ナシゴレン断ちしてるから協力して」と同僚に宣言した。最初は「いいね、頑張れ」と応援してくれたが、数日後には「でも今日のランチ、やっぱナシゴレンじゃない?」と誘惑してくる。結局、断ち切るどころか同僚とのナシゴレン頻度が増えた。
どの作戦もことごとく失敗。僕はナシゴレンの前では無力だった。
だが、それでも少しずつ「減らす工夫」は身についてきた。ご飯の量を半分にして、野菜を追加する。油を控えめにリクエストする。目玉焼きをダブルにする代わりにご飯を減らす。そんな小さな工夫で、罪悪感を和らげるようにした。
もちろん完璧ではない。週1回どころか、週3回は食べてしまう。それでも以前の「毎日3食ナシゴレン生活」から見れば大きな進歩だ。体重も少しずつ減り、午後の眠気も軽くなった。医師にはまだ「完全に安心」とは言われないが、「改善の兆しあり」との評価をもらえた。
それでも屋台の灯りを見ると、心の奥底で「今日は特別」という声が聞こえてくる。その声に従ってしまうのは、まだ僕が完全にナシゴレンから自由になれていない証拠だろう。
結果
医者に「週1回まで」と宣告されてから数か月。僕は、完全にナシゴレンをやめることはできなかった。だが、以前のように“一日三食ナシゴレン”という狂気の生活は卒業した。今は週に2〜3回、いや、正直に言えば忙しい週はほぼ毎日……。それでも、量を減らしたり、野菜を足したりと工夫を重ねることで「依存と共存」の道を歩んでいる。
考えてみれば、僕の海外生活はナシゴレンと共にあった。仕事で失敗した日も、言葉の壁に苦しんだ日も、ナシゴレンは変わらずそこにいて、スプーン一杯の幸せをくれた。そんな存在を、ゼロにするなんて無理な話だ。
だから僕は決めた。
「ナシゴレンは敵ではなく、相棒だ。問題は、僕が食べる量と頻度をコントロールできるかどうか」
もちろん、理屈は分かっている。でも夜の屋台で香ばしい匂いに包まれると、その理屈は風に吹かれてどこかに飛んでいく。そして気づけば目の前には、熱々のナシゴレンと目玉焼き。スプーンを握った僕はいつも同じことを考える。
「まあ、今日だけは特別だから」
翌朝、体重計の数字を見て後悔しつつも、また同じセリフを繰り返す。そう、僕はまだまだ懲りていない。
でもいいじゃないか。完璧にやめられなくても、少しずつ改善できていれば。ナシゴレンは僕の“罪な相棒”であり、海外生活を支えてくれる“異国の家族”みたいなものなのだ。
だから今日も僕は、医師の忠告を思い出しながら、屋台の灯りに足を運ぶ。
「先生、安心してください。今日は野菜をトッピングしますから」
――そう言い訳しながら、またスプーンを手に取る僕がいる。

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