終わらないデバッグ、霞む視界。僕たちが陥る「The Grind Trap(努力の罠)」
午前2時のVisual Studioと、解決しないバグ
正直に言います。かつて僕は、「長時間働くこと」こそが、異国の地で生き残る唯一の手段だと信じ込んでいました。
あるプロジェクトのリリース前夜のことを今でも鮮明に覚えています。
場所は北米のとあるオフィス。周りの同僚たちは「じゃあ、あとは任せたよ(Good luck!)」と言い残し、午後5時半には颯爽と帰宅していました。
オフィスに一人残された僕は、WPFの複雑怪奇なデータバインディングのバグと格闘していました。ViewModelからViewへの通知がなぜか届かない。INotifyPropertyChangedは実装しているはずなのに、画面は沈黙したまま。
「自分が日本人だから、英語がネイティブじゃないから、技術力が足りないから、人の2倍やらなきゃ追いつけないんだ」
そう自分に言い聞かせ、カフェインの錠剤をレッドブルで流し込みながら、キーボードを叩き続けました。
気けば午前2時。
頭の中は霧がかかったようで、単純なロジックすら追えなくなっていました。XAMLのタグがエイリアンの文字に見えてくる始末。それでも、「ここで帰ったら負けだ」「時間をかければ必ず答えが出る」という、ある種の狂信的な思い込みにしがみついていました。
結局その夜、バグは直りませんでした。
翌朝、出社してきたシニアエンジニアが、僕の書いたスパゲッティコードを見て一言。
「ここ、プロパティ名が間違ってるだけだよ(Typos, man.)」
修正にかかった時間は、わずか30秒。
僕が費やした8時間の深夜残業は、一体何だったのでしょうか?
これが、僕が最初にハマった**「The Grind Trap(努力の罠)」**です。
「時間をかければ成果が出る(More Hours = More Output)」という神話。特に私たち日本人は、勤勉さを美徳とする文化で育っているため、この罠に驚くほど簡単に、そして深くハマってしまいます。
「Hustle Culture(ハッスル・カルチャー)」という甘い麻薬
海外、特に北米のテック業界にも「Hustle Culture(ハッスル・カルチャー)」という言葉があります。
SNSを開けば、「彼らが寝ている間に働け」「休みなんて死んでから取ればいい」といった、過剰な努力を賛美するインフルエンサーの言葉が溢れています。
スタートアップ界隈では、週80時間労働を勲章のように語る創業者もいます。
海外に出たばかりのエンジニアにとって、このメッセージは強烈な引力を持ちます。
「言語のハンデがある」「ビザのプレッシャーがある」「現地の凄腕エンジニアに負けたくない」
そんな不安をかき消すために、私たちは「忙しさ」という麻薬に手を出してしまうのです。
忙しくしていると、安心します。
深夜までIDE(統合開発環境)に向かっていると、「自分は頑張っている」「価値あることをしている」という錯覚に浸れます。
しかし、ここで冷静になって考えてみてほしいのです。
その残業、本当に「Output(成果)」に繋がっていますか?
それとも、単に「不安」を埋めるための儀式になっていませんか?
僕の場合、長時間労働を続けていた時期のコミットログを見返すと、衝撃的な事実に気づきました。
深夜帯に書いたコードのバグ発生率は、日中の3倍以上だったのです。さらに、その修正(手戻り)に翌日の午前中を費やしている。
つまり、**「長く働けば働くほど、実は生産性をマイナスにしていた」**のです。
これは単なる個人の体験談ではありません。
多くの研究が、週50時間を超える労働は生産性を著しく低下させ、週55時間を超えると、それ以上働いても成果は全く増えない(あるいはマイナスになる)ことを示しています。
それなのに、なぜ私たちは「まだ足りない」「もっとやらなきゃ」という強迫観念から抜け出せないのでしょうか?
脳が悲鳴を上げている:生理学的コストの無視
ここで少し、エンジニアらしく「システムの観点」から人間の体を考えてみましょう。
PCのCPUを常に100%の使用率で稼働させ続けたらどうなるでしょうか?
熱暴走を起こし、処理速度は低下し、最悪の場合はクラッシュします。ファンが唸りを上げているのに、「もっと計算させろ!」と命令を送り続けるユーザーはいませんよね。
しかし、私たちは自分の脳に対して、平気でこれをやってしまいます。
長時間労働と慢性的なストレスは、脳に物理的な変化をもたらします。
特に影響を受けるのが、脳の司令塔である「前頭前野(Prefrontal Cortex)」です。ここは、論理的思考、意思決定、創造性、そして感情のコントロールを司る部分です。
C#で複雑なクラス設計を考えたり、非同期処理の競合を解決したりする時にフル稼働する、エンジニアにとっての「GPU」のような場所です。
ストレスホルモンであるコルチゾールが過剰に分泌され続けると、この前頭前野の機能が低下します。
その結果、何が起きるか?
- 認知的トンネル視(Cognitive Tunneling): 視野が狭くなり、目の前の小さなエラーに固執して、システム全体の問題が見えなくなる。
- 判断力の欠如: 「休んだほうが効率が良い」という当たり前の判断ができなくなる。
- 創造性の枯渇: 新しいアルゴリズムやエレガントなアーキテクチャが全く浮かんでこなくなる。
先ほどの僕の体験談にあった「単純なタイプミスに8時間気づかなかった」という現象は、まさにこの脳の機能不全が原因でした。
脳のリソースが枯渇している状態で、無理やりコードを書こうとするのは、メモリ不足のPCで重たい3Dゲームを動かそうとするようなものです。
画面はカクつき、フリーズし、何も進まない。
それなのに、私たちは「もっと気合を入れれば動くはずだ」と信じて、キーボードを叩き続ける。
これが「The Grind Trap」の正体です。
海外エンジニアとして生き残るために必要な「パラダイムシフト」
日本から海外へ渡り、エンジニアとして挑戦しようとしている皆さん。
あるいは、すでに海外で戦っている皆さん。
もしあなたが今、「毎日遅くまで残業しているのに、思ったような評価が得られない」「常に何かに追われているような焦燥感がある」と感じているなら、それはあなたが「能力不足」だからではありません。
あなたが「The Grind Trap」に捕らわれているからです。
海外の現場、特に成果主義が徹底されている環境では、プロセス(どれだけ長く座っていたか)は評価されません。
評価されるのは、あくまでアウトプット(どれだけの価値を生み出したか)です。
ボロボロの顔をして深夜まで残っているエンジニアと、定時で帰るけれどバグのないクリーンなコードを書き、チームのドキュメントも整備しているエンジニア。
どちらが「プロフェッショナル」として信頼されるか、答えは明白です。
私たちは、この「長時間労働信仰」というOSをアンインストールし、新しい働き方のカーネルをインストールしなければなりません。
それは、**「時間を削って成果を最大化する」**という、エンジニアリング本来の思考を、自分自身の働き方にも適用することです。
次章からは、この「罠」の構造をもっと深く分解し、具体的にどうすればこの悪循環から抜け出せるのか。
そして、実際に僕が海外のシニアエンジニアたちから学んだ、**「最小の労力で最大のインパクトを出す(Work Smart)」**ための具体的なテクニックとマインドセットについてお話しします。
「頑張る」のをやめる勇気。そこから、本当のエンジニアライフが始まります。
なぜ「忙しさ」はこれほどまでに甘美で、危険なのか? エンジニアを蝕む3つの幻想
1. 「火消し役」こそがヒーローだという勘違い
エンジニアリングの世界には、非常に厄介なパラドックスがあります。
それは、**「平穏無事にシステムを稼働させている優秀なエンジニアよりも、炎上プロジェクトを徹夜で鎮火したエンジニアの方が評価されやすい」**という現象です。
以前、私が所属していたチームに、トムという同僚と、ジェイソンという同僚がいました。
トムは常に定時上がり。彼の担当モジュールは地味ですが、バグが出ない。設計が堅牢(Solid)で、例外処理も完璧。だから、彼の周りで「事件」は起きません。
一方のジェイソンは、いつも忙しそうでした。あちこちの会議に顔を出し、Slackの返信も秒速。そして、リリース直前に発生したクリティカルなバグを、週末を返上して修正し、「なんとか間に合わせました!」と月曜の朝に報告する。
マネージャーや非技術職のステークホルダーから見て、どちらが「頑張っている」ように見えるでしょうか?
悲しいかな、多くの組織ではジェイソンが「情熱的な救世主」として称賛され、トムは「影の薄い存在」として扱われがちです。
これが、私たちが「Grind(長時間労働)」をやめられない大きな理由の一つです。
「トラブルシューティングをしている自分」は、ドラマチックで、必要とされている実感(承認欲求)を満たしてくれるのです。
しかし、コードレベルで見れば真実は逆です。
ジェイソンが消していた火は、そもそも彼が以前書いた「技術的負債(Technical Debt)」が発火したものでした。彼は自分で放火して、自分で消火活動をしていたに過ぎません。これを「マッチポンプ・エンジニアリング」と呼びます。
海外のシニアレベルに上がると、このメッキはすぐに剥がれます。
「なぜ君の担当箇所はいつも火を吹くんだ? アーキテクチャに問題があるんじゃないか?」
そう詰められた時、「でも僕はこんなに長く働いています!」という言い訳は、もはや通用しません。それは「僕は能力が低いです」と自己紹介しているようなものだからです。
私たちは、「火消しの高揚感」というドーパミン中毒から抜け出し、**「何も起きないことの偉大さ」**を誇れるようになる必要があります。
2. 「浅い仕事(Shallow Work)」への逃避
「今日は一日中忙しかったのに、振り返ってみると何も進んでいない気がする……」
そんな経験はありませんか?
C#で言えば、重たい処理をUIスレッド(メインスレッド)で走らせてしまって、画面がフリーズしている状態。裏ではCPUが回転しているのに、ユーザーから見れば何も起きていない。
実は、「長時間労働」の正体の半分以上は、本当の意味での仕事ではありません。
それは、メールの即レス、Slackでの雑談に近い議論、目的の曖昧な定例会議、そして「やった気になるための」無意味なリファクタリングです。
カル・ニューポート著の『Deep Work』でも語られていますが、エンジニアにとって真に価値ある成果(複雑なアルゴリズムの実装、新しいアーキテクチャの設計など)は、**「Deep Work(深い集中)」**からしか生まれません。
しかし、Deep Workは脳に負荷をかけます。苦しいのです。
一方で、Slackに「了解です!」とスタンプを押したり、簡単なバグを修正したりする「Shallow Work(浅い仕事)」は、脳への負荷が軽く、かつ「仕事をこなした」という即時的な達成感を与えてくれます。
だから私たちは、困難な設計課題から無意識に目を背け、「忙しく振る舞うこと」で、本質的な課題に取り組んでいない不安を誤魔化そうとします。
長時間労働の多くは、実はこの「浅い仕事」をダラダラと引き伸ばしている時間に過ぎません。
「長く働くこと」は、実は「深く考えること」からの逃避行動かもしれないのです。この事実を直視するのは痛みを伴いますが、ここを認めない限り、生産性は永遠に上がりません。
3. 日本人特有の「空気を読む」スキルが、海外では「バグ」になる
ここからは、私たち日本人エンジニア特有の問題に切り込みます。
日本で働いていた頃、定時で帰ろうとして上司の視線が気になったり、「お先に失礼します」と言うのに妙に勇気が要ったりしませんでしたか?
「皆が残っているから、自分も残る(連帯感の演出)」
この、日本では潤滑油として機能していた「空気を読む(Kuuki wo Yomu)」スキル。
これが海外、特に北米や欧州のテック企業では、致命的な「バグ」として作用します。
私がカナダで働き始めた当初、自分のタスクが終わっているのに、なんとなくチームリーダーが残っているからという理由で、18時過ぎまでオフィスに残っていました。
すると数日後、リーダーから面談室に呼ばれ、真顔でこう言われました。
「君はワークロード(業務量)の管理ができていないのか? それとも、能力に対してタスクが難しすぎるのか?」
衝撃でした。
彼は、私が「付き合いで残っている」なんて想像もしていませんでした。
「タスクが終わっているのに残っている=仕事が終わらない能力不足」もしくは「マネジメント側の割り当てミス」と解釈されたのです。
海外の文脈において、契約上の時間は「リソース」です。
時間内に成果を出してサッと帰る人は「優秀で、自己管理ができているプロ」。
ダラダラ残っている人は「効率が悪く、ライフワークバランスの管理ができないアマチュア」。
この価値観の反転(Flip)に適応できないと、私たちは無意識に「日本的な頑張り方」を持ち込み、自滅します。
「誰も頼んでいない残業」をして、「誰も評価してくれない」と嘆く。
これは悲劇です。
「ここでは、早く帰ることが信頼につながるのだ」
そう脳内の設定ファイルを書き換える(Override)必要があります。最初は恐怖心があるかもしれませんが、勇気を持って「See you tomorrow!」と言って帰る。それが、現地のカルチャーへの何よりの適応(Localization)なのです。
生理学的な「借金」は、複利で膨らむ
最後に、もう一度体の話をしましょう。
「起」で触れた脳の機能低下に加え、慢性的な長時間労働は、エンジニアにとって最も大切な資産である「好奇心」を殺します。
新しいフレームワークが出た時、WPFの新しい機能が発表された時、週末にちょっと触ってみようかな、というワクワク感。
これが湧かなくなったら、エンジニアとしての死期が近いです。
睡眠不足とストレスは、この「知的好奇心」を真っ先に奪います。
仕事のための勉強が苦痛になり、キャッチアップが遅れ、技術力が陳腐化し、さらに仕事に時間がかかるようになる。
まさに「負のスパイラル」。
私たちが陥っている「Grind Trap」は、単なる労働時間の問題ではありません。
**「火消しヒーロー幻想」「浅い仕事への逃避」「文化的罪悪感」**という3つのバグが複雑に絡み合い、私たちのキャリアと健康を人質に取っている状態なのです。
では、どうすればこの強固なトラップを解除できるのか?
次の「転」では、私が実際に海外のトップエンジニアたちから盗んだ、**「時間を半分にして、成果を倍にする」ための具体的なハック(Essentialismの実践、NOの言い方、非同期コミュニケーションの極意)**について、コードを書くようにロジカルに解説します。
精神論ではありません。これは、生き残るための「技術(Skill)」の話です。
人生を「リファクタリング」せよ。最小の労力で最大のインパクトを出すための4つのコード
1. 「No」と言う勇気は、最強のガード節(Guard Clause)である
C#でメソッドを書くとき、冒頭で不正な引数を弾く「ガード節」を書きますよね?
if (input == null) return;
これがないと、その後の処理で無駄な例外が発生し、システムがクラッシュします。
実は、私たちの働き方もこれと全く同じです。
「Grind Trap」から抜けるための最初のステップは、自分の時間に入ってくるリクエストに対して、強力なガード節を実装することです。つまり、「No」と言う技術です。
海外の優秀なエンジニアを見ていて気づいたのは、彼らが驚くほど頻繁に、そして爽やかに「No」と言うことです。
「その会議、僕が出る必要ある? 議事録で十分じゃない?(Do I really need to be there?)」
「今スプリントは手一杯だから、その機能追加は来月ね。(Not this sprint.)」
日本人の感覚だと「冷たい」「協調性がない」と感じるかもしれません。しかし、これは「エッセンシャル思考(Essentialism)」の実践です。
「すべてを引き受ける」ということは、「何ひとつ重要視していない」ことと同義です。
自分のリソース(時間と集中力)は有限のメモリです。
どうでもいい雑務(Shallow Work)でヒープ領域を使い切っていたら、肝心のアーキテクチャ設計(Deep Work)に割り当てるメモリが残りません。
今日から、他人のリクエストに対して、デフォルトで「Yes」と返すのをやめましょう。
まずは「確認して戻ります」とバッファを置き、**「これは自分の主要な成果(OKR)に直結するか?」**と自問してください。
直結しないなら、勇気を持って「No」と言うか、代替案を出す。
それはわがままではなく、自分のプロフェッショナルとしての価値を守るための「防御壁」なのです。
2. コミュニケーションを「非同期(Async/Await)」にする
WPFでUIスレッドをブロックする重い処理を書いたら、先輩に怒られますよね? 「async/await を使え!」と。
それなのに、なぜ私たちは仕事のコミュニケーションにおいて、常に「同期(Synchronous)」処理を求めてしまうのでしょうか?
Slackの通知が来るたびに作業を中断して即レスする。これは、UIスレッドをブロックしまくっているのと同じです。
これでは、いつまでたっても深い思考(バックグラウンド処理)は完了しません。
私が海外のチームで学んだ最強のハックは、**「コミュニケーションの非同期化」**です。
- 通知は基本OFF: 私は集中作業中、Slackもメールも通知を切ります。1日に3回(朝、昼、夕方)だけチェックする時間を決め、まとめて処理します(Batch Processing)。
- 「即レス」を期待させないキャラ作り: 「彼は集中している時は返信が遅いが、必ず質の高い回答をまとめて返してくる」という評判(プロトコル)を確立します。
- カレンダーをブロックする: Googleカレンダーに「Focus Time」という予定を入れ、その時間は会議を入れさせないようにします。
最初は「緊急の連絡があったらどうしよう」と不安になります。
でも、考えてみてください。サーバーがダウンした時以外、数時間の遅れが致命傷になることなんて、ソフトウェア開発において滅多にありません。
あなたの集中力は、他人の都合で分断されていいほど安いものではないはずです。
3. 「80点主義(Pareto Principle)」でリリースせよ
エンジニア、特に日本人は「完璧主義」というバグを抱えがちです。
コードを美しくしたい、あらゆるエッジケースに対応したい、ドキュメントを完璧に整えたい……。
その気持ちは痛いほどわかります。私もかつて、誰も見ない社内ツールのUIデザインに3日かけたことがあります。
しかし、ビジネスの世界では**「パレートの法則(80:20の法則)」**が支配しています。
成果の80%は、20%の重要なタスクから生まれます。
逆に言えば、残りの20%の完成度(ディテール)を詰めるために、80%の時間を浪費していることが多いのです。
海外の現場では、**「MVP(Minimum Viable Product)」**の精神が個人のタスク管理にも浸透しています。
「Done is better than perfect(完璧を目指すより終わらせろ)」です。
- コードは「動く」なら、リファクタリングは後回しでいい(YAGNI原則)。
- ドキュメントは箇条書きで十分。
- メールは3行で返す。
60点〜80点の出来で一度アウトプットし、フィードバックをもらって修正する。このサイクル(イテレーション)を高速で回す方が、時間をかけて100点を目指すよりも、圧倒的に「仕事ができる人」と評価されます。
なぜなら、ビジネスの状況は常に変化しており、あなたが1週間かけて作った「完璧な機能」が、来週には「やっぱり要らない」と言われる可能性が高いからです。
「手抜き」ではありません。「最適化」です。
自分のエネルギーを、本当にインパクトのある上位20%の機能実装に集中投下しましょう。
4. 休息は「アイドリング」ではなく「ガベージコレクション(GC)」だ
最後に、マインドセットの根本的な転換(Shift)が必要です。
多くの人は、休息を「サボり」や「時間の無駄」と考えています。
しかし、脳科学の視点では、ぼーっとしている時間こそが、脳の「ガベージコレクション(GC)」が走る時間なのです。
この時、脳内では「デフォルト・モード・ネットワーク」が活性化し、散らかった情報の断片が整理され、記憶が定着し、意外なアイデア同士が結びつきます。
あなたも経験があるはずです。
机にかじりついている時は解けなかったバグが、シャワーを浴びている時や、散歩をしている時にふと「あ、そうか!」と閃く瞬間が。
あれは、意識的な思考プロセス(メインスレッド)を停止させたことで、バックグラウンドでGCが走り、メモリリークが解消されたから起きる現象です。
海外のエンジニアは、このことをよく知っています。
昼下がりにオフィス近くの公園を散歩したり、ジムに行ったり、あえて「仕事から離れる時間」を戦略的にスケジュールに組み込みます。
「休むこと」は、仕事の一部です。
F1カーがピットインなしで走り続けられないように、私たちも適切なメンテナンスなしには、ハイパフォーマンスを維持できません。
残業してダラダラ書いたコードより、しっかり寝てスッキリした頭で書く1時間のコードの方が、価値が高いのです。
この「転」の章でお伝えしたかったのは、単なる時短テクニックではありません。
**「自分の仕事の定義を書き換える」**ということです。
- すべてのリクエストに応えるのが仕事ではない。重要なことに集中するのが仕事だ。(Guard Clause)
- 即レスするのが仕事ではない。深い思考で価値を生むのが仕事だ。(Async)
- 完璧を目指すのが仕事ではない。素早く価値を届けるのが仕事だ。(Pareto / MVP)
- 長時間働くのが仕事ではない。ベストコンディションを保つのも仕事だ。(GC)
このパラダイムシフトができれば、あなたはもう「Grind Trap」の住人ではありません。
あなたは、自分の時間を支配する「タイム・アーキテクト」になれるのです。
さて、理論と戦術は出揃いました。
しかし、これを読んで「なるほど」と思っただけでは、現実は1ミリも変わりません。
最後の「結」では、これらをどうやって明日の朝から実行に移すか、読者の皆さんの背中を力強く押すメッセージをお届けします。
そして、私がこの働き方に変えてから、実際に人生がどう好転したのか(年収、評価、そして家族との時間)。
その「未来の景色」をお見せして、このブログを締めくくりたいと思います。
PCを閉じろ、世界を見よう。そこからしか「最高のコード」は生まれない
逆説的な真実:働く時間を減らしたら、年収と評価が上がった話
信じられないかもしれませんが、私が「午後6時には絶対にPCを閉じる(強制シャットダウン)」と決めてから半年後、私の人事評価(Performance Review)は過去最高を記録しました。
かつて、深夜までオフィスに残り、血走った目でキーボードを叩いていた頃の評価は「Hard worker(頑張り屋)」止まりでした。それは「君の努力は認めるけど、結果はそれなりだね」という、残酷な慰めでした。
しかし、勇気を持って「Grind Trap」から抜け出した後の評価は劇変しました。
「Strategic Thinker(戦略的思考ができる人)」「Highly Efficient(極めて効率的)」
そして、給与交渉(Salary Review)の席で、マネージャーはこう言ったのです。
「君は最近、以前のようなパニック状態がないね。常に冷静で、コードの品質も安定している。だから、より難易度の高いアーキテクチャ設計を任せたい」
皮肉な話です。
必死にもがいていた時は手に入らなかった信頼が、力を抜き、余白を作った瞬間に向こうからやってきたのです。
WPFのデータバインディングと同じです。ガチガチに結合(Tight Coupling)させると動かなくなる。少し疎結合(Loose Coupling)にして遊びを持たせることで、システム全体がスムーズに回り出す。
私たちの人生も、全く同じアーキテクチャで動いているのです。
「人生」という名のメインループを取り戻す
「The Grind Trap」の最大の弊害は、健康被害でも生産性の低下でもありません。
もっと恐ろしいこと。それは、**「自分の人生がつまらなくなること」**です。
毎日コードとバグのことしか考えていないエンジニアの話は、退屈です。
視野が狭くなり、技術以外のことに興味を持てなくなると、皮肉なことにエンジニアとしての成長も止まります。
なぜなら、革新的なアイデアやユーザーに寄り添ったUI/UXは、技術書の中ではなく、「生活」の中にヒントがあるからです。
私が残業をやめて生まれた時間で何をしたか?
何か高尚な勉強をしたわけではありません。ただ、現地の同僚とパブで下手な英語で笑い合ったり、週末にハイキングに行ってカナダの大自然に圧倒されたり、下手くそな料理を作ったりしました。
そうやって「人間としての感覚」を取り戻すにつれ、不思議と仕事でのアイデアも湧いてくるようになりました。
「あ、この機能、ユーザーから見たら使いにくいな。だって、日曜日にリラックスして使うアプリなのに、操作が複雑すぎる」
そんな当たり前の「共感」ができるようになったのです。
「良いコード」を書くためには、「良い人生」を送る必要がある。
これが、私が海外生活で得た最大の気付き(Takeaway)です。
私たちはコードを書くマシーンではありません。人生を豊かにするためにテクノロジーを操る、クリエイターなのです。
明日の朝から実行できる「Uninstallation」手順書
さて、ここまで読んでくれたあなたに、明日からすぐに実行できる「脱・長時間労働」のための小さなTo-Doリスト(初期化処理)を渡します。
いきなり全てを変える必要はありません。アジャイルに、少しずつ改善していけばいいのです。
- 「定時退社チャレンジ」を設定する
- 週に1日だけでいいです。「水曜日は何がなんでも18時に帰る」と決め、Googleカレンダーに「帰宅」という予定をブロックで入れてください。そして、誰になんと言われようと帰るのです。世界は崩壊しません。
- 通知の断捨離(Digital Detox)
- スマホのSlack、Teams、業務メールの通知をOFFにしてください。少なくとも、退勤後と休日は絶対に見ないこと。
- 最初は「恐怖」を感じるでしょう。それは禁断症状です。3日で慣れます。
- 「No」のテンプレートを用意する
- 急な仕事を頼まれた時の断り方をあらかじめ決めておきます。「今はAのタスクに集中しており、品質を落としたくないので、Bの着手は来週になりますがよろしいですか?」——これはプロの断り方です。
- 睡眠を「業務タスク」とみなす
- 7時間寝ていない日は、「今日は仕事の準備不足だ」と反省してください。睡眠不足で出社するのは、バグだらけのコードを本番環境にデプロイするのと同じ罪です。
最後に:午前2時の画面を見つめるあなたへ
もし今、この記事を深夜のオフィスや、自宅の暗い部屋で、ブルーライトに照らされながら読んでいる方がいたら、伝えたいことがあります。
今すぐ、PCを閉じてください。
そのバグは、今夜直さなくてもいい。
そのメールは、明日の朝返せばいい。
あなたが自分を削ってまで会社に捧げなければならない仕事なんて、この世に一つもありません。
あなたは、もっと自由でいい。
あなたは、もっと幸せになっていい。
そして、あなたが心身ともに健やかであって初めて、あなたの書くコードは誰かを幸せにできるのです。
「The Grind Trap」の檻を壊しましょう。
鍵はずっと、あなたのポケットに入っています。
さあ、顔を上げて。
明日はきっと、素晴らしいビルド日和になりますよ。
Good night, and Happy Coding.

コメント