はじめに
Picture this: またしても深夜。会社のチャットにはまだ数人の緑のライトがついていて、世界のどこかで同僚が「もう一件だけレビューしてから寝るよ」と軽くメッセージを投げてくる。僕もその一人だった。
「あと一時間だけ…」そう思ってコードに向かうけど、結局、気づけば午前3時。
もしこれを読んでいるあなたが、エンジニアとして海外で働こうとしている、あるいはすでに働いているなら、この光景は少し“見覚えがある”んじゃないだろうか。プロジェクトが立て込んでくると、気づけば自分の生活リズムなんて二の次。特に、海外に来たばかりの頃は「結果を出さなきゃ」「期待に応えなきゃ」というプレッシャーがあるから、なおさら自分を追い込んでしまう。
僕の場合、それがC# WPFの設計開発プロジェクトだった。大きなUI刷新案件で、ユーザーの操作フローからコンポーネントの設計までをほぼ一人で担うことになった。正直ワクワクしていたし、自分の実力を示すチャンスだと思った。だからこそ、無理をしてでも“完璧”を目指そうとしたんだ。
最初は「充実してるな」とすら思っていた。海外のオフィスで、世界中の仲間とディスカッションしながら新しいUIを作り上げる。英語の壁もあったけど、なんとかやりとりできている自分に少しずつ自信もついてきた。
でも、その「充実感」は長くは続かなかった。
ある夜、コードレビューのコメントにひどく落ち込んだことがある。レビュー自体は普通のものだった。
「このロジックは再利用性を考えると別クラスに切り出したほうがいい」
「命名規則をもう少し統一した方がいい」
どれも当たり前の指摘。でも、そのときの僕は心の中でこう叫んでいた。
「これ以上、どうすればいいんだよ!」
たかが数行の指摘なのに、胸の奥にずしんと重くのしかかってきた。それは、単なる技術的な問題じゃなくて、「自分はまだ認められていないんじゃないか」「海外で通用しないんじゃないか」という不安を刺激したからだと思う。
そして、その夜を境に、作業のスピードが少しずつ落ちていった。コードを見ても頭に入ってこない。レビューを返そうとしても、キーボードを打つ手が止まる。そんな状態が続いた。
これが、いわゆる「バーンアウト」の始まりだった。
ただ、その時の僕はまだ気づいていなかった。
「ちょっと疲れてるだけだろう」
「海外生活に慣れてないから仕方ない」
そうやって自分をごまかしていた。
けれど現実には、バーンアウトは静かに進行していた。
朝起きても、PCを開くのが重い。ミーティングでの議論に入っても、言葉が出てこない。まるで頭にモヤがかかったようで、何も集中できなくなっていた。
そして何より怖かったのは、あんなに楽しかったはずの開発が、まったく楽しくなくなってしまったこと。
エラーを潰す快感も、新しいUIを形にする達成感も、全部どこか遠い世界の出来事のように感じる。
もしこの時点で「あ、これやばいな」と気づけていたら、もっと早く立て直せたのかもしれない。でも実際は、バーンアウトは“忍び足”で近づいてくる。気づいたときにはもう深みにはまっている。
海外で働いていると、このリスクはさらに高まる。
なぜなら、
- 文化の違いによるプレッシャー(発言スタイル、コミュニケーション速度、働き方の常識が違う)
- 言語の壁(細かいニュアンスが伝わらず、余計にストレスになる)
- 孤独感(日本のように気軽に愚痴をこぼせる相手が近くにいない)
こうした要素が重なり、気づかぬうちに精神的な負担が積み重なっていくからだ。
僕自身も、最初は「これが普通なんだろう」と思い込んでいた。周りのエンジニアも遅くまで働いているし、自分だけ弱音を吐くのはカッコ悪い。そうやって無理を重ねた結果、ある日ふと「もう何もしたくない」と思う瞬間がやってきた。
バーンアウトの入り口に立っていた僕は、まだそれに気づいていなかった。
ただ「なんとなく疲れている」「集中できない」そんな感覚が、日を追うごとに強くなっていった。
最初に異変をはっきり感じたのは、ミーティングのときだった。
海外の開発現場では、週に何度もステータスミーティングやディスカッションが行われる。進捗報告や設計の擦り合わせを、英語でテンポよくこなす必要がある。最初の頃は必死に食らいついていた。相手が何を言っているのかを逃さないように集中し、自分なりに簡単な英語で返していた。
ところが、ある日を境にその集中力が途切れるようになった。
「UI flow needs to be revised based on user feedback. Could you take the lead on redesigning the navigation part?」
そんな風に頼まれたのに、頭の中が真っ白になってしまった。相手の言葉は理解できているはずなのに、返事が出てこない。焦りだけが積み重なって、口から出たのは曖昧な「Okay… I’ll check」で終わってしまった。
ミーティングが終わった後、猛烈な自己嫌悪に襲われた。
「こんな簡単なやりとりすらスムーズにできないのか」
「期待に応えられていないんじゃないか」
そんな不安が頭をぐるぐる回り、気づけばPCの画面を前にして手が止まっていた。
仕事が「タスクの山」に見えた瞬間
バーンアウトの怖いところは、仕事が「挑戦」から「負担」に変わってしまうことだ。
以前なら、新しいUIの設計を任されればワクワクしていた。
「どうすればもっと直感的にできるだろう」
「このコンポーネントを再利用すれば効率的かも」
そんなふうに頭を働かせるのが楽しかった。
でも、バーンアウトが進行していた時期の僕にとって、同じタスクはただの「重荷」にしか感じられなかった。
PR(Pull Request)のレビューを一つ書くのにも、通常の倍以上の時間がかかる。バグ修正をしようとコードを追っても、数分で集中力が切れてしまい、意味もなくSlackやメールを眺める時間が増えていった。
そして気づけば、「やらなきゃいけないこと」のリストが、どんどん積み上がっていく。
本来なら優先順位をつけて処理できるはずのタスクが、すべて同じように重くのしかかってくる。頭の中は「やらなきゃ」でいっぱいなのに、実際には何も進んでいない。
プライベートにも影響
海外生活はただでさえ新しい環境に適応するのにエネルギーを使う。そんな中で仕事に追われ、気づけばプライベートの時間すらまともに楽しめなくなっていた。
週末、同僚が「ハイキングに行こう」「バーベキューやろう」と誘ってくれることがあった。でも、その頃の僕は心のどこかで「行っても楽しめないだろうな」と感じて、断ることが多くなっていた。
部屋にこもってNetflixを流し見するけど、内容は頭に入ってこない。ただ時間を潰しているだけ。日本の家族や友人にビデオ通話しようと思っても、「元気?」と聞かれたときにうまく答えられない気がして、つい後回しにしてしまった。
孤独感がじわじわと広がっていった。
周囲とのギャップ
さらに追い打ちをかけたのは、周囲のエンジニアとの「ギャップ」だった。
同僚たちは、夜遅くまで働いても翌日ケロッとした顔でオフィスに現れる。レビューで厳しい指摘をされても、軽く冗談を交えながら「なるほどね!」と受け止めている。そんな彼らの姿を見て、「どうして自分だけこんなに苦しいんだろう」と思わずにはいられなかった。
もちろん、彼らも見えないところで苦しんでいたのかもしれない。でも、当時の僕には「自分だけがついていけてない」という感覚が強く、ますます自己肯定感を失っていった。
体調の変化
精神的な疲労は、体にも現れる。
眠りが浅くなり、夜中に何度も目が覚める。朝はベッドから起き上がるのに30分以上かかる。頭痛や肩こりもひどくなり、常に体が重い。
そして何より、食欲がなくなった。
以前は新しい国の料理に挑戦するのが楽しみだったのに、その時期は何を食べても味がしない。仕方なく冷凍食品やパンだけで済ませる日が続いた。
「これはちょっとおかしいな」と思い始めたのは、このあたりからだった。
でも同時に、「ただの疲れだろう」「もう少し頑張れば乗り越えられる」とも思っていた。
決定的な瞬間
そんなある日、決定的な出来事が起こった。
大きなリリースを控えた週。UIの最終調整を担当していた僕は、プレッシャーでほとんど眠れない日々を過ごしていた。そしてついにリリース前日の朝、オフィスに行こうとした瞬間、体が動かなくなった。
ドアの前で靴を履こうとしたけれど、手が止まってしまう。頭の中では「行かなきゃ」「やらなきゃ」と繰り返しているのに、体が一歩も動かない。心臓がドクドクと速くなり、呼吸も浅くなった。
結局、その日はオフィスに行けず、ベッドに倒れ込んだまま一日が過ぎた。
「もう無理かもしれない」
そのとき初めて、僕は自分が深刻な状態にあることを認めざるを得なかった。
オフィスに行けなかったあの日。
「これはただの疲れじゃない」
ようやくそう認めざるを得なかった。
でも、そこからどうすればいいのかは、正直わからなかった。海外に住んでいると、日本にいるときのように「とりあえず実家に帰って休もう」とはいかない。頼れる家族も近くにいないし、医療制度だって慣れていない。だからこそ、最初は「自分でなんとかしなきゃ」と思った。
最初の一歩:同僚に打ち明ける
きっかけは、同僚の一言だった。
プロジェクトの進捗報告をSlackで送るとき、いつものように遅れ気味のステータスを投稿したら、アメリカ人の同僚からダイレクトメッセージが飛んできた。
「Hey, are you doing okay? You look tired these days.」
正直、最初は「いやいや、そんなに顔に出てたのか」と焦った。けれど同時に、心の奥でちょっとホッとしたのを覚えている。誰かが自分の変化に気づいてくれていたことが、救いのように思えた。
勇気を出して、「実はちょっと疲れてる。あまり集中できなくて…」と打ち明けてみた。すると彼は軽い調子で「Oh, I know that feeling. I’ve been there too.」と返してきた。
驚いた。自分だけじゃなかったんだ。
彼曰く、数年前に大きなリリースのときに似たような状態になり、しばらく休養を取ったらしい。
その体験を聞いて初めて、「バーンアウトって珍しいことじゃないんだ」と気づけた。
プロとして休むという選択
次にしたのは、上司に正直に相談することだった。これは本当に怖かった。
「自分は弱いと思われるんじゃないか」
「重要な仕事を任されなくなるんじゃないか」
そう考えると、口を開けなかった。
でも、同僚の「You should tell your manager. They’ll understand.」という言葉に背中を押された。
勇気を振り絞って打ち明けてみると、意外な反応が返ってきた。
「I appreciate your honesty. Take some time off if you need. We’ll manage the tasks.」
その瞬間、肩から重い荷物が落ちたような感覚があった。
「休んでいいんだ」
プロジェクトはチームで回すもの。自分一人が全てを背負う必要はない。その当たり前のことを、ようやく理解できた気がした。
小さな習慣のリセット
休暇をとったとはいえ、最初の数日は罪悪感が抜けなかった。
「みんな頑張ってるのに自分だけ休んでいいのか」
「休んでいる間にスキルが遅れてしまうんじゃないか」
そんな気持ちを抱えつつも、少しずつ自分を立て直すための小さな習慣を取り入れていった。
- 朝の散歩
ベッドから出られなかった自分にとって、まずは10分外を歩くだけで大きな進歩だった。外の空気を吸うと、頭のモヤが少し晴れる。 - ジャーナリング
頭の中がぐちゃぐちゃしているとき、ノートに思ったことをそのまま書き出す。英語でも日本語でも関係ない。書き終えると、不思議と心が軽くなった。 - 睡眠リズムの見直し
夜中まで作業するのをやめ、意識的に12時前にはベッドに入るようにした。最初は寝つけなかったけど、続けていくうちに朝起きるのが楽になった。
こうした小さな改善が積み重なって、少しずつ「自分を取り戻している」感覚が出てきた。
助けを借りることの大切さ
もう一つ大きな転機になったのは、会社が提供していたEAP(Employee Assistance Program)を利用したことだ。
カウンセリングサービスが無料で受けられる制度で、最初は「自分がそんなものに頼るなんて」と抵抗があった。
でも、いざ話してみると、驚くほど心が軽くなった。
カウンセラーは「あなたの状態は珍しいことではない」と伝え、具体的なセルフケアの方法を提案してくれた。
「仕事と自分の境界線をはっきりさせる」
「達成可能な小さなゴールを設定する」
「定期的にリフレッシュする予定を入れる」
こうしたアドバイスは、どれもシンプルだけど実行すると確かに効果があった。
視点の変化
立ち直り始めて一番大きかったのは「視点の変化」だと思う。
それまでは「海外で成果を出さなきゃ」「期待に応えなきゃ」という気持ちでいっぱいだった。けれど、休養とサポートを通じて、「長く続けられることのほうが大事」だと気づいた。
エンジニアとしてキャリアを築くのはマラソンであって、短距離走じゃない。
一時的に無理をしても、燃え尽きてしまえば元も子もない。
この考え方を持てるようになったことで、仕事への向き合い方が少しずつ変わっていった。
再スタート
休養を経て復帰したとき、正直まだ不安は残っていた。
でも、以前と違って「自分は無理をしてはいけない」という意識があった。
- ミーティングで分からなければ素直に「Could you repeat that?」と聞く
- 夜中まで粘るのではなく「今日はここまで」と区切る
- 成果を出すだけでなく「自分が健康であること」も大切にする
そんなふうに行動を変えたことで、再び少しずつ「開発って楽しいな」と感じられるようになった。
バーンアウトを経験して僕が一番強く感じたのは、「頑張ること」と「無理すること」は全く違う ということだった。
海外で働くエンジニアにとって、頑張るのはある意味当たり前だ。言語も文化も違う環境で成果を出そうとすれば、誰だって全力を尽くす。僕も最初の頃はそれを“覚悟”だと思っていた。けれど、いつの間にかそれが「無理」に変わり、自分を追い詰めてしまった。
無理を続ければ、どんなに好きだった仕事も楽しめなくなる。まさに僕はその罠にハマった。
学び① 「自分の状態に敏感になる」
バーンアウトは静かに進行する。
だからこそ、小さなサインに気づくことが大切だ。
- いつもより集中できない
- 仕事がただの「義務」に感じる
- 朝起きるのがつらい
- 趣味や食事を楽しめなくなる
こうしたサインは、体と心が発しているSOSだ。僕の場合、「食事の味がしない」というのが大きなきっかけだった。
もしあなたが海外で働き始めたばかりなら、「疲れてるのは当然」と思ってスルーしてしまうかもしれない。でも、その“当然”が積み重なると、ある日突然動けなくなる。だから、自分の変化に敏感でいることが一番の予防になる。
学び② 「助けを借りるのは弱さじゃない」
海外で働くと、「自分でなんとかしなきゃ」という気持ちが強くなる。僕もそうだった。頼れる家族は近くにいないし、同僚に弱みを見せるのも怖かった。
でも実際は、助けを求めることこそプロの選択だと思う。
僕が同僚や上司に打ち明けたとき、誰も僕を責めなかった。むしろ「話してくれてありがとう」と言ってくれた。カウンセリングを受けたことも、今では大きなターニングポイントになったと思う。
エンジニアはチームで働く仕事だ。だからこそ、一人で抱え込むのはリスクでしかない。仲間に頼るのは、むしろ責任感のある行動だと今は思っている。
学び③ 「長く続けることが一番の成果」
エンジニアとして海外で働くと、「即戦力」「成果主義」という言葉がよく飛び交う。短期間で結果を出すことが評価される文化もある。
でも、キャリア全体を見たときに一番大事なのは、長く続けられることだ。
燃え尽きて半年で辞めるより、健康に10年続けるほうが圧倒的に価値がある。
僕自身、無理をして倒れたとき、「ここでキャリアが途切れるかもしれない」と本気で思った。だからこそ、健康は成果以上に重要な資産だと実感している。
学び④ 「小さなリセットを習慣化する」
バーンアウトを防ぐには、日常の中で小さなリセットを繰り返すのが効果的だ。僕が取り入れてよかったと思うのは次のようなことだ。
- 仕事とプライベートの境界を意識して分ける
- 毎日5分でも外に出て歩く
- 「今日はここまで」と区切りをつける
- 週末は意識的に仕事から離れる
特別なことじゃなくていい。小さな習慣の積み重ねが、大きな防波堤になる。
これから海外で働くあなたへ
最後に、これから海外で働くエンジニアへ伝えたい。
海外で働くことは、本当に刺激的で成長できる体験だ。文化の違い、言語の壁、多様なバックグラウンドを持つ仲間たち。そのすべてが自分を広げてくれる。
でも同時に、それは大きなプレッシャーでもある。
「結果を出さなきゃ」
「弱みを見せられない」
「周りに遅れをとりたくない」
そうやって頑張りすぎてしまう人を、僕は何人も見てきた。そして自分もその一人だった。
だからこそ言いたい。
👉 頑張ることと無理することは違う。
👉 助けを借りるのはプロの証。
👉 キャリアはマラソン。長く続けることが最大の成果。
燃え尽きる前に、自分の声を聞いてほしい。
そして、もし今すでに疲れを感じているなら、それは立ち止まるサインかもしれない。立ち止まることは、逃げることじゃない。むしろ、前に進み続けるための大切な一歩だ。
まとめ
僕が海外で学んだのは、技術や英語以上に、「自分を大切にする力」 だった。
エンジニアとして成功するために必要なのは、スキルや知識だけじゃない。
心と体を守りながら、情熱を長く持ち続けられる仕組みを自分の中に作ることだ。
それさえできれば、海外で働くという挑戦は、きっとあなたの人生にとって最高の冒険になるはずだ。

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