東京でのモヤモヤ、そして決断
「このままで、いいんだっけ?」
これが、アメリカ行きを決める少し前、東京の開発現場でふと浮かんだ疑問だった。
僕は10年以上、東京でITエンジニアとして働いてきた。メインの技術はC#、特にWPFの設計・開発。業務アプリケーションや医療系のツールなど、ガッツリと設計書を書いて、実装し、テストして、ユーザーとやり取りして…という日々。残業もそこそこあったけど、慣れた環境。スキルも実績も、それなりに自信はついてきた。
でも、ある日ふと手が止まった。
日本の仕事文化に慣れすぎて、成長が止まってる気がしたんです。
🔹 海外に行きたい。でもなぜアメリカ?
理由は2つあります。ひとつは、英語圏であること。学生時代にTOEIC対策をした程度で、流暢とは言えないけど「英語が日常語」な環境にどっぷり浸かってみたいという願望がありました。もうひとつは、WPFのようなデスクトップアプリのニーズがまだ残っていること。特にエンタープライズ系の現場では、WPFを用いたツールがバリバリ動いているという話を、海外フォーラム(Stack Overflow や Reddit)などで見かけていたから。
参考:
🔹 会社辞めてアメリカ行くって、正気?
正直、周りにはびっくりされました。
「30代半ばで海外転職って、怖くない?」
「WPFなんて、もう時代遅れじゃないの?」
「英語でミーティングとかムリじゃない?」
いや、めちゃくちゃ怖かったです(笑)。
だけど、内心こうも思ってました。
「このまま“安定”の中で埋もれてしまうのは、もっと怖い」
僕は、エンジニアとして“今の自分”のままで、この先も10年、20年、心からワクワクして働けるかを真剣に考えた。その答えが「NO」だった。
だったら、変わるしかない。
🔹 準備期間は約9ヶ月:何をしたか?
まずは、英語力強化。英会話スクールやオンライン英会話(特に Cambly と italki)で、週5回くらい英語漬け。技術英語やミーティング表現に特化した教材を使ったりもしました。
技術的には、GitHubで英語のREADMEを付けたポートフォリオを作成。WPFとMVVMのベストプラクティスを使ったサンプルアプリを数本リリースし、LinkedIn や 海外のIT系Slackコミュニティ(DotNetDevs、GlobalCodeなど) で徐々に発信を始めました。
求人は、Toptal, Arc, Hired などの海外向けリモート求人サイトを中心にチェック。時差やビザの壁はあれど、「海外転職の道はゼロじゃない」と確信したのがこの頃です。
🔹 決め手は「人」
そして、ある日、LinkedIn経由でアメリカ西海岸の企業からメッセージが。
「あなたのGitHub見たよ。インターナショナルチームにWPF経験者が欲しいんだ」
もう、心臓バクバクでした(笑)。
でも、Zoomで話したエンジニアたちは、意外なほどフレンドリーで「英語が完璧じゃなくても、設計の意図がちゃんと伝わるなら大丈夫」と言ってくれた。そこに「チームとして迎えてくれる」空気を感じたのが、最終的な決断の後押しになりました。
🔹 渡米。人生が変わり始めた。
成田から飛び立ったのは、2024年の春。
空港に向かうスーツケースの中には、ノートPCと、WPFの設計図が詰まったノート。そして、これから始まる全く新しいエンジニア人生への期待と不安。
東京からアメリカへ。
この1年間は、エンジニアとしても、人としても、予想以上の“変化と発見”の連続でした。
アメリカ生活の現実と“本当の意味でのスタート”
飛行機がロサンゼルス国際空港に到着した瞬間、胸の奥で何かがズンと重くなった。
「ここから本当に、ひとりで生きていくんだ」
パスポートを握る手に少しだけ汗。税関でのやり取りは事前に何度もシミュレーションしていたのに、やっぱり緊張して言葉が出てこない。でも、係員が笑顔で通してくれて、その瞬間やっと少し息がつけた。
アメリカ生活、ここからスタートです。
🏠 住まい探しの洗礼
最初の洗礼は「家」でした。
日本なら「スーモ」「アットホーム」などポータルで部屋を決めるのが当たり前。でも、アメリカでは Zillow や Craigslist、それから Facebook Marketplace を使って探すのが一般的。英語の物件説明はクセが強く、「何が含まれていて、何が含まれていないのか」曖昧な表現も多くて、めちゃくちゃ苦労しました。
「ユーティリティ込み」と書いてあるのに水道代だけだったり、「家具付き」と言いつつ机だけだったり。
しかも、日本と違って「信用スコア」や「収入証明」「職歴」がない外国人にとって、賃貸の審査はハードルが高い。面談もあるし、英語で自分をちゃんと説明しなければならない。英語力より、メンタルがやられそうでした(笑)。
結局、現地のエージェントを介して、シェアハウスの一室に一時的に住むことに。完全にひとり部屋ではないけれど、まずは「生活の基盤を作る」ことが優先でした。
🧑💻 初出勤:日本とは真逆のカルチャーショック
初出勤の日。場所はカリフォルニアのサンノゼにある小さなIT企業。出社といっても、全員が集まるのは週1回のチームランチのみで、基本はフルリモート。
会社のSlackに「Hi everyone!」と打ち込んで始まった初日。日本での「出勤=出社して席に座る」が完全に崩れ、PCを開けばそこが仕事場。これが新鮮でもあり、ちょっと寂しくもありました。
でも驚いたのは、オンボーディングの丁寧さ。
Notionでまとめられた社内ドキュメント、GitHubの使い方、Slackの文化、時間管理の方法、チームで使うツール(Jira、Figma、Azure DevOps)の使い方などがしっかり共有され、しかも「質問はいつでもOK」という雰囲気がちゃんとある。
さらに嬉しかったのが、英語がネイティブじゃないエンジニアが多かったこと。
「Your English is fine. Don’t worry about it.」
最初にそう言ってくれたチームリーダーの言葉で、心の緊張が一気にほどけた気がしました。
🍔 食事、時間、空気感。全部違う。
生活の中で感じた違和感は、細かいところにたくさんありました。
- ランチが異様に早い(11時台が普通)
- スーパーマーケットの野菜が巨大すぎる
- チップ文化が面倒(そして高い)
- 時間の感覚が「ゆるい」けど、責任の所在はハッキリ
- 「How are you?」が本当に挨拶だけ(返事は基本「Good!」)
日本だと、「相手に迷惑かけないように」が先に立ちがちですが、アメリカでは**「自分の意見や希望をしっかり伝えることが礼儀」**という文化に何度も衝撃を受けました。
ある時、チームの定例ミーティングで「今週、タスクが終わらなそう」と伝えたら、「OK、じゃあ分担しよう」とあっさり対応してくれたのも印象的でした。日本なら、“すみません地獄”になってたと思う(笑)。
🧘♂️ そして、孤独と戦う時間
華やかな海外生活…と思われがちだけど、最初の3ヶ月はかなり孤独でした。
英語の壁、文化の違い、友達ゼロ。特に週末になると一気にホームシックになる。Uberに乗っても、カフェでオーダーしても、英語が聞き取れずに自信をなくす日もたくさんありました。
でも、ひとつだけ支えになったのが、「開発」という“自分の土俵”があったこと。
コードに向き合っていると、言語の壁を超えた「共通のルール」がある。設計思想、コードレビュー、テスト戦略、UIの構造。そこに国境はなく、“できる・できない”が正直に評価される世界にいることは、何よりの救いでした。
🌐 リモートでも“つながる”
ある日、チームのあるメンバーが「週末にバーチャル・ゲーム会やろうよ」と声をかけてくれました。Zoomでつないで、ボードゲームをやるだけ。でも、画面越しに笑い合える時間があることで、「あ、自分は孤独じゃないんだ」と実感できた。
国籍も文化も違う仲間たちと、“つながる”努力を互いにしていく。これも、アメリカで働く中で学んだ大切なことの一つでした。
🚪 少しずつ、扉が開き始めた
最初はカチカチだった英語も、毎日のMTGで少しずつ自然に話せるようになっていく。
買い物でスムーズにやり取りができた日、チームのメンバーから「That’s a great UI structure」と褒められた日、街のカフェで店員さんと雑談できた日。
少しずつ、“異国”が“日常”になっていく。
英語の壁より深い“文化の壁”と、設計でぶつかる価値観の違い
渡米して数ヶ月、やっと生活にも仕事にも慣れてきた頃。
「ようやくペースをつかめたかも」と思い始めていた、その矢先。
プロジェクトの中心で、ガツンと大きな壁にぶち当たりました。
それは、技術的な問題ではなく、“価値観の違い”という見えない壁でした。
💣 事件はコードレビューで起きた
担当していたのは、業務用データ入力アプリのWPF UI設計。
MVVMパターンでの構造整理、パフォーマンスを考慮した仮想化、再利用可能なコンポーネントの設計など、日本で培ってきたスキルを全開で投入。
正直、自分でも「これは良い設計だ」と思っていたんです。
しかし、コードレビューで返ってきたコメントは意外なものばかり。
- 「Why is this so abstract?」
- 「This is overengineered.」
- 「Can’t we go with something simpler and faster to build?」
え…?これが“過剰設計”?
設計思想がぶつかった瞬間でした。
🔍 日本の“先回り” vs アメリカの“最小構成”
日本では、「将来の変更に備えて、拡張性を持たせた構造にしておく」ことが求められる場面が多かった。
でも、こちらのチームの考え方はまるで違う。
「今必要なものだけ作る。必要になったらリファクタすればいい」
これは、「あとで直すコストは高くない」という前提の上に成り立っている思想でした。しかも、プロジェクトのスピード感や、変更の柔軟性に慣れているメンバーにとっては、「最初から複雑にしない」方が効率的だと考えられていた。
🤯 誤解される“丁寧さ”
コードだけでなく、設計ドキュメントや仕様の書き方でも似たような摩擦がありました。
自分としては、抜け漏れをなくすために丁寧に記述していたつもり。でも、それが「細かすぎる」「判断を妨げる」「誰も読まない」と受け取られることもあった。
たとえば、DataContextのバインディング構造を詳細に図示したドキュメントに対して、
“This is too heavy. Just give me a short note and let’s discuss.”
つまり、「全部書くこと=親切」ではない。必要な情報を、必要なタイミングで簡潔に渡すことが優先される文化なのです。
🧠 価値観の衝突が、成長のチャンスになる
正直、最初はけっこう凹みました。
「この設計じゃダメなのか…」
「今までのやり方、通じないのか…」
でも、ある日、チームのエンジニアとZoomで1on1をしたとき、彼が言ってくれた言葉にハッとしました。
“We’re not saying your way is wrong. It’s just different from ours. Let’s find a middle ground.”
それからは、「押し通す」よりも「歩み寄る」視点を意識しました。
- 設計案を最初から英語で2パターン提示し、レビューで選んでもらう
- 抽象化はやめて、まずは具体実装→必要に応じて再設計
- 図解よりも、簡単な箇条書き+Slackで議論
これだけで、コミュニケーションが一気にスムーズになった。
🌏 多国籍チームならではの“合意形成”の難しさ
チームは、アメリカ、日本、インド、ルーマニア、ブラジルと超多国籍。
ここでぶつかったのが、「何をどう合意して進めるのか」という問題。
日本的な“空気読み”や“暗黙の了解”は通用しない。かといって、英語がネイティブでない人も多いから、議論のテンポや表現のズレで本質を見失いやすい。
例えば、あるインド人エンジニアがタスクを「できる」と言ったので任せたら、実は「できるようになると思う」という意味だった、ということもあった(彼にとっては前向きな表現だったのに…)。
ここで学んだのは、Yes/Noの確認だけでなく、「どうやって?」「どこまで?」を一緒に言語化することの大切さ。
📊 WPFでも“グローバル”が求められる
WPFなんてローカル技術だし、世界ではそんなに使われていないと思っていた。
でも、実際の現場では世界中のユーザーが使う多言語対応アプリのフロントエンドとして、WPFはまだ活躍している。
- UIのローカライズ(ResourceDictionary+CultureInfo)
- タイムゾーン対応(特にデータ表示)
- ユーザーごとのAccessibility設定(ハイコントラスト・画面拡大など)
こういった国際化対応も、日本ではあまり経験がなかった部分で、かなり勉強になりました。
🔄 「失敗を恐れない」文化に救われた
印象的だったのが、「失敗」に対するスタンスの違い。
自分のWPF UIでちょっとしたメモリリークが発生したとき、思わず謝罪メッセージを長々と送ってしまった。でも、マネージャーの反応はこう。
“Great catch. Let’s fix it together and document the lesson.”
怒られるどころか、「気づいたこと」自体を評価してくれた。
このとき初めて、「失敗しても許される文化が、挑戦を支えている」ことを肌で実感しました。
🚀 苦しんだからこそ、自分の“幅”が広がった
日本でだけ働いていたら、多分ずっと「こうあるべき」に縛られていたと思う。
でも、違う国、違う文化、違う価値観の中で揉まれることで、「柔軟さ」「伝え方」「協調性」「判断力」みたいな非技術的なスキルが一気に鍛えられた。
そしてなにより、
**「自分はどこでも通用するかもしれない」**という感覚が、少しずつ芽生えてきた。
“海外で働く”という選択がくれた、自分再発見の1年
1年経った今、ふと思います。
「東京であの日、飛行機に乗るか悩んでた自分が見たら、今の自分をどう思うだろう?」
間違いなく、こう言うはずです。
「お前、思ったよりやれてるじゃん」
🪞 英語の壁の先にあった、“自分の声”の再発見
英語は、未だに完璧とは言えません。
ミーティングで聞き返すことも多いし、チャットの文章を3回くらい見直してから送ることも日常茶飯事。
でも、1年前は英語を「試験科目」みたいに感じていたのに、今は違う。
英語は“自分の考え”を世界に届けるツールだと心から思えるようになった。
言葉の正しさより、伝える意志。
流暢さより、相手を尊重する姿勢。
このマインドセットの変化が、技術スキルよりも大きな成長かもしれません。
🧑💻 エンジニアとして“世界の一部”になった感覚
東京で働いていた頃、どこかで「自分はこの島の中でだけ通用する技術者なのでは」と感じていた。
でも今は、GitHubやSlack、Pull Requestのレビューで、国籍も言語も違う仲間たちと並列に戦えている。時には意見が通らないこともあるけれど、それでも毎日ディスカッションして、機能を完成させていく。
「技術で対話できる」
「設計でチームに貢献できる」
この小さな成功体験の積み重ねが、**自分にとっての“世界と繋がってる実感”**を作ってくれました。
🌱 自分の思い込みを壊してくれた「アメリカの空気」
この1年を振り返ると、いちばん印象的だったのは自分の中の「当たり前」が壊れていったことです。
- 残業は当たり前 → ワークライフバランスが大前提
- 空気を読むのが美徳 → 自分の意思を伝えるのがマナー
- 完璧に準備してから動く → とりあえず動いてから考える
- 同調していることが安心 → 異なる意見こそ歓迎される
最初は戸惑いしかなかったけれど、いまはこの“開かれた文化”の中に身を置くことで、「自分らしくいること」に対する罪悪感がなくなった気がします。
そして、それはエンジニアとしてだけじゃなく、「ひとりの人間として」の解放でもありました。
🚀 キャリアの可能性が“ローカル”から“グローバル”に広がった
東京での仕事も悪くなかった。
けれど、選べるプロジェクトや成長の方向性には、どこかで「枠」があった。
いま、英語で仕事ができるようになったことで、世界中の案件に応募できるようになりました。実際、最近はカナダやヨーロッパの企業からもお声がかかるようになり、選択肢が一気に広がった。
たとえば、以下のような案件にも対応できる:
- WPF → Blazor移行プロジェクト(北米系保険会社)
- 多言語対応のUI設計(ヨーロッパの製造業向けアプリ)
- DevOps連携を含むUI自動テスト設計(グローバル医療系)
「技術が通じる世界で、自分の経験が使える」
この感覚は、**キャリアの未来に対しての“明るいイメージ”**を強くしてくれました。
💬 最後に、これから海外を目指すエンジニアへ
今だからこそ、伝えたいことがあります。
✔️ 英語が不安でも、伝えたい気持ちがあれば武器になる
✔️ 海外に出れば出るほど、自分の“日本的価値観”に気づく
✔️ 技術だけでなく、「人との関係性を築く力」が問われる
✔️ 環境を変えると、自分が変わるスピードも加速する
✔️ 何より、“ひとりの開発者”として、誇れる自分になれる
🌍 そして、これから
1年間のアメリカ生活は終わったけれど、僕の海外キャリアはまだ始まったばかり。
今後は、ローカルでの経験 × グローバルチームでの開発を掛け合わせて、もっと価値のあるプロダクトを作っていきたい。そして、日本のエンジニアたちにも、**「もっと外に出てもいいんだよ」**というメッセージを伝えていきたい。
言葉や文化が違っても、コードは通じる。
価値を届けたいという思いがあれば、場所なんて関係ない。

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