「日本からシリコンバレーへ:C# WPFエンジニアとしてアメリカのテック業界を切り開く」

  1. なぜ僕は、アメリカに行くことを決めたのか?
  2. なぜアメリカ?なぜシリコンバレー?
  3. 英語は得意じゃなかった。それでも飛び込んだ
  4. 応募から渡航まで:リアルなタイムライン
  5. まとめ:挑戦のはじまり
  6. 現地でぶち当たったカルチャーショックと英語の壁
  7. アメリカの職場って、やっぱり「自由」だった
  8. 「Yes」と言っても、理解しているとは限らない
  9. 日本人特有の「遠慮」は武器にもなるけど、時には足かせに
  10. 技術的な面での違い:WPF文化のズレ
  11. チームに「存在感」を出すには?
  12. まとめ:壁の向こうに見えたもの
  13. 信頼と昇給は「技術力」より「戦略」で勝ち取る
  14. 技術力だけでは評価されない?
  15. 「言語ではなく、文脈で伝える」力が必要だった
  16. 初めての「パフォーマンスレビュー」は衝撃だった
  17. 信頼されるには、「役割」じゃなく「貢献」を言語化する
    1. ✅ やったことではなく「周囲に与えた影響」を言語化
    2. ✅ 自分のスキルをどう再利用可能にしたかを共有
    3. ✅ 他人の成功にも貢献する姿勢を明示
  18. 初めての「給与交渉」。そのリアルな舞台裏
  19. まとめ:自分の「存在価値」を声に出すことの大切さ
  20. 二つの文化のはざまで見つけた「働く意味」
  21. 結論から言うと、「正解」はない
  22. 日本の「チーム主義」、アメリカの「個人主義」
  23. 僕が見つけた「仕事の3つの軸」
    1. ① Skill(スキルが伸びるか)
    2. ② Impact(社会や誰かに価値を届けられるか)
    3. ③ Life(自分と家族の人生にとって意味があるか)
  24. C# WPFの「価値」は自分で定義するものだった
  25. 僕にとっての「海外で働く意味」
  26. 最後に:これから海外を目指すエンジニアへ

なぜ僕は、アメリカに行くことを決めたのか?

「あのさ、俺、アメリカで働こうと思ってる」

そのときの妻の表情を、僕は今でもはっきり覚えている。驚きと不安と、それでも少しの期待が混ざったような、なんとも言えない顔だった。
僕は東京でC#とWPFを中心としたアプリケーション開発の仕事をしていた。中小企業向けの業務支援ツールや、工場の機器制御システムなど、いわゆる「地味だけど堅実」な仕事がメイン。手を動かすのも設計するのも好きで、日々の業務に不満があったわけではない。むしろ、やりがいは感じていた。

ただ──どこかで、ずっとモヤモヤしていた。
「このままでいいのか?」
「自分のスキルって、世界でも通用するのか?」
「この先10年、何をして生きていくんだ?」

30代に入って少し経った頃。日本の会社での昇進も、給与水準もある程度見えてきていた。子どもはまだ小さく、家のローンはないけれど、家族の人生設計を考えると「今が一番動ける時期」だった。
そして何より、「C# WPF」という僕の主戦場が、日本以外の現場ではどのように使われているのか、確かめたかった。


なぜアメリカ?なぜシリコンバレー?

アメリカのIT企業、特にシリコンバレーといえば、「JavaScript」「Python」「Go」「Rust」などのモダンな言語のイメージが強い。実際、Web系やクラウド系の案件では、C#やWPFはややマイナーな存在だ。
でも、調べてみると意外なことに気づいた。

  • 製造業や医療系の専用端末
  • 政府系システムやエネルギー分野
  • インハウスの業務管理ツール

こういった領域では、今でもWPFが現役で使われている。特に大規模な設備やレガシー資産を持つ企業では、「安定」「保守性」「スピード」の観点から、WPF+C#が今でも選ばれていた。

実際にLinkedInやGlassdoorで求人を探してみると、”C# WPF Developer”というポジションは想像以上に多かった。
加えて、.NET CoreやAzure、Blazorなど、Microsoftのエコシステムに強い人材が重宝される場面も少なくない。

そこで僕は思った。

「いけるかもしれない。いや、今しかない。」


英語は得意じゃなかった。それでも飛び込んだ

正直に言うと、僕は英語が得意じゃなかった。
TOEICは700点台。メールやチャットはなんとかなるけど、会議は苦手。技術英語の読み書きには慣れていたが、ネイティブの早口英語には全然ついていけなかった。

でも、それでもやると決めた。
理由はシンプルで、「英語が苦手だからやらない」は、あまりにも勿体なかったからだ。

  • 今のスキルを武器にする
  • 現場で英語を浴びながら、実戦で鍛える
  • 日本に戻っても、”海外経験×Microsoftスタック”は強みになる

そう信じて、準備を始めた。
LinkedInのプロフィールを英語で整え、GitHubに個人プロジェクトをアップし、英語のレジュメを数パターン作成。
英語面接の練習には、Camblyとitalkiを使って、エンジニア経験のある講師を探した。


応募から渡航まで:リアルなタイムライン

ここで、ざっくりしたスケジュールを共有しておきます。

期間やったこと
1ヶ月目英語レジュメ・LinkedIn整備、スカウト対応開始
2ヶ月目海外求人への応募スタート(主にLinkedIn, AngelList)
3ヶ月目オンライン面接(Zoom・Teams)2〜3社通過
4ヶ月目オファー取得、ビザサポートの確認
5〜6ヶ月目渡航準備(引っ越し、保険、学校手続きなど)
7ヶ月目渡米・現地生活スタート!

最初の2〜3ヶ月は正直きつかった。メールの返事が来なかったり、「英語がネイティブでないこと」を理由に落とされたり…。でも、僕のWPF経験を本当に必要としている会社は確かに存在した。


まとめ:挑戦のはじまり

こうして僕は、東京の郊外の自宅から、アメリカ・カリフォルニア州のベイエリアに飛び立った。
家族も一緒に移住した。知らない土地、違う文化、言葉の壁。
でも不思議と、「怖さ」よりも「わくわく」のほうが大きかった。

そして今、WPFの知識を武器に、アメリカのテック企業の一員としてプロジェクトに参画している。

現地でぶち当たったカルチャーショックと英語の壁

〜「Yes」と言ったけど、理解できてなかった、あの午後〜

アメリカの職場って、やっぱり「自由」だった

シリコンバレーに着いて、最初に感じたのは「自由だなあ」という空気だった。
ドレスコードなんてない。Tシャツと短パンで出社するエンジニアもいれば、犬を連れてくる人もいる。ランチも自由。自席で食べる人もいれば、カフェで3時間帰ってこない人もいる(しかも誰も文句を言わない)。

でも、それは裏返せば「自分で責任を持って動け」ってことでもあった。

日本では、なんだかんだで「指示待ち」でも仕事は回る。誰かが手取り足取り教えてくれるし、やるべきことは細かく指示される。でもアメリカでは、「これはA案とB案、どっちがいいと思う?」っていきなり聞かれる。

そして、「うーん、ちょっとわからないですね」なんて答えると、
「Why not?」
って真顔で聞き返される。


「Yes」と言っても、理解しているとは限らない

初めてのチームミーティング。
Zoom越しに、アメリカ、カナダ、インド、ドイツ、そして僕(日本)というグローバルメンバーが集結。

プロジェクトマネージャーが話す内容は、
“OK, so we’ll need to refactor the binding layer, since the legacy MVVM implementation is causing latency. Hiro, can you take a look at the DataContext propagation next week?”

正直、半分くらいしか聞き取れなかった。
でも僕は反射的に「Yes, I’ll check it out」と答えた。
なんかやらないといけない気がして。たぶん大丈夫だろう、と。

結果、全然大丈夫じゃなかった。

言われていたのは、既存のWPFコードのバインディング階層を再設計して、パフォーマンス問題を調査・改善するという、かなり重要かつセンシティブなタスクだった。
翌週、何も進んでいない状態でミーティングに参加した僕を見て、PMの顔が一瞬固まった。

“So… did you get a chance to look into the propagation issue?”

完全にやらかした。
「Yes」と言ったけど、ちゃんと理解できてなかった。それは「Yes」じゃなくて「Maybe」だった。
この経験は、今でもトラウマレベルに覚えてる。


日本人特有の「遠慮」は武器にもなるけど、時には足かせに

あのとき思った。
日本の職場文化では、「わかりません」と言いづらい空気があるけど、**アメリカではそれは逆に「誠実さの証」**なんだと。

PMに謝って正直に話したら、意外とすんなり受け入れてくれた。
「理解できていないなら、そう言ってくれた方が助かるよ」と。
そして、次の会話でこう言われた。

“It’s better to over-communicate than to pretend.”

この言葉は、その後の僕の働き方を大きく変えた。

  • 小さな疑問も積極的に質問する
  • Slackでのやりとりは、要点を箇条書きで送る
  • 「たぶん通じてる」は禁句。確認する習慣を持つ

こうした工夫を少しずつ積み上げたことで、信頼も徐々に得られるようになった。


技術的な面での違い:WPF文化のズレ

技術的にもギャップは多かった。
アメリカの現場では、WPFは**「業務向けの老舗技術」**という認識が強い。
だからこそ、最新のUIフレームワーク(例えばReactやFlutter)に慣れている若手エンジニアたちは、WPFのXAML記法やMVVMパターンに戸惑うことが多い。

でも、そこで僕の経験が活きた。

  • バインディングのパフォーマンスチューニング
  • Custom Control vs. UserControl の設計判断
  • INotifyPropertyChanged の軽量実装ノウハウ
  • ResourceDictionaryの構成最適化

こうした細かいTipsは、実務経験がないとわからない。
「古い技術」だからこそ、そこに知見を持つ人材は重宝される。
「Hiro knows the old magic」って、冗談まじりに言われたのは嬉しかった(笑)


チームに「存在感」を出すには?

英語で会話に参加するのは、今でも正直に言って苦手だ。
でも、次の3つを意識するようにしてから、**「チームの中で浮かない」「発言がスルーされない」**ようになった。

  1. 結論から話す(Start with outcome)
     →「I propose we move the logic to a service class. Here’s why…」のように
  2. 聞く力を活かす
     → みんなが話し終わったあとに「So, if I understand correctly…」で要約&確認
  3. 非同期コミュニケーションを活用
     → SlackやNotionで、自分の考えを整理してから発信できる

アメリカでは、黙っていても評価されない。
逆に、「この人、何か持ってそう」と思われたら、一気にチャンスが広がる。


まとめ:壁の向こうに見えたもの

シリコンバレーで最初にぶち当たった壁は、言葉でも文化でも技術でもなかった。
**「自分で自分を信じきれるかどうか」**だった。

  • わからないことを、正直に言える勇気
  • ズレたら、すぐ修正する柔軟性
  • 自分の得意を、堂々とアピールする姿勢

これらは、日本ではあまり求められてこなかったスキルだった。
でも、グローバルな職場では、それが当たり前だった。

信頼と昇給は「技術力」より「戦略」で勝ち取る

〜「いつも通りやってたら、誰も見てくれてなかった」〜


技術力だけでは評価されない?

アメリカに来て半年ほど経った頃、プロジェクトの進行にも慣れてきて、「やっと普通に仕事ができるようになってきたな」と感じていた。

WPF関連の不具合はどんどん潰していけるし、MVVMパターンの整備も軌道に乗ってきた。英語の技術ミーティングでも発言できる場面が少しずつ増えてきた。

でも、ある日ふと気づいた。

「これだけやってるのに、評価されてる感じがない…?」

日本であれば、やった仕事の量や品質で、上司やチームリーダーがちゃんと見てくれる。
でもこっちは違った。

  • 誰かがやったことより、**「なぜやったのか」**が重視される
  • 手を動かしたことより、**「どう周囲に影響を与えたか」**が評価される
  • コードの正しさより、**「チームを前に進めたか」**が重要視される

いわゆる「実務能力」だけでアピールしようとしても、それだけでは「便利な人」で終わってしまう。
この壁は、技術よりもずっと高かった。


「言語ではなく、文脈で伝える」力が必要だった

ある週のコードレビューでのこと。
僕が提出したPull Requestに対して、チームリーダーから一言だけコメントがついた。

“Looks good. But could you explain the rationale for changing the binding hierarchy?”

つまり、「なぜこの実装にしたのか、ちゃんと説明してほしい」と。
完璧に動くコードでも、「理由が曖昧だと安心してマージできない」という空気があった。

それから僕は、次のことを心がけるようにした。

  • Pull Requestには背景と目的を書く(3行でもOK)
  • 変更の意図と影響範囲を簡潔に説明する
  • 「〇〇さんと相談して決めた」という証拠を残す

このあたりから、SlackのDMで技術議論が増えたり、「レビューありがとう」と声をかけられたり、チームとの「目に見えない距離」がぐっと縮まった


初めての「パフォーマンスレビュー」は衝撃だった

年度末、会社から「Performance Review(評価面談)」の案内が来た。
評価対象期間は過去6ヶ月。
提出資料に「成果・課題・今後の目標」を自分で書いて上司に送るという仕組みだった。

ここで完全に油断していた。

正直、なにを書いたらいいのかわからなかった。
「バグを〇件修正した」「ツールを改善した」など、事実を並べて出したけど、それは日本的な評価基準だった。

結果的に、マネージャーから返ってきたコメントはこうだった。

“Good execution on assigned tasks. Looking forward to seeing you take more ownership in cross-functional initiatives.”

…つまり、「ちゃんとやってるけど、それだけだよね」ってこと。
ショックだった。でも、これがリアルだった。


信頼されるには、「役割」じゃなく「貢献」を言語化する

そこから僕は、本気で「評価されるための戦略」を考えた。

✅ やったことではなく「周囲に与えた影響」を言語化

例:「デザインチームと仕様調整を行い、UI変更によるユーザビリティ改善を主導した」

✅ 自分のスキルをどう再利用可能にしたかを共有

例:「MVVMパターンのテンプレートを作成し、他メンバーの実装工数を20%削減」

✅ 他人の成功にも貢献する姿勢を明示

例:「新人メンバーへのWPFオンボーディング資料を整備し、立ち上がりを1週間短縮」

このあたりを意識してから、Slackでの発言に重みが出てきた。
マネージャーからの声掛けも増え、「次のプロジェクトでリードやってみないか?」という話が出てきた。


初めての「給与交渉」。そのリアルな舞台裏

1年が経った頃、ついに「給与見直し」のタイミングが来た。
日本ではほとんど交渉の余地がないけど、アメリカではむしろ交渉しないと損をする文化がある。

面談の前、僕は以下の準備をした:

  • 自分のスキルセットをマーケット価値として言語化(LinkedIn調査)
  • 競合他社の給与レンジを収集(Glassdoor, Levels.fyi, Blind)
  • 自分の実績と定量的成果を一覧にして資料化

面談の当日、僕は緊張しながらこう切り出した。

“Based on my contributions in the past year and current market benchmarks, I believe a 10–15% increase would be a fair reflection of my impact.”

上司は数秒沈黙したあと、こう返してくれた。

“Thanks for putting this together. Let me take it to HR and see what we can do.”

1週間後、12%の昇給が決まった
このとき感じたのは、「評価は準備で決まる」ということ。


まとめ:自分の「存在価値」を声に出すことの大切さ

日本では、「がんばっていれば誰かが見てくれている」という文化がある。
でもアメリカでは、「自分で見せなきゃ誰にも気づかれない」というのが前提だった。

  • 言語ではなく、貢献を伝える力
  • 技術ではなく、周囲への影響を示す力
  • 謙虚さではなく、正当に評価を主張する勇気

それらを一つずつ積み上げたことで、僕は「ただのWPFエンジニア」から、「頼れるプロジェクトメンバー」へと変わっていけた気がする。

二つの文化のはざまで見つけた「働く意味」

〜日本とアメリカを渡ったエンジニアが、最後にたどり着いたもの〜


結論から言うと、「正解」はない

シリコンバレーに来て2年が経った頃。
プロジェクトマネージャーに昇格し、チームを率いる立場になった僕は、ある日ふと立ち止まって考えていた。

「ここまで来たけど、これで正解だったんだろうか?」

日本の職場にいたときは、「海外で働く」こと自体が夢だった。
でも実際にその夢を実現した今、「ここがゴールじゃなかった」と気づいた。

アメリカでの仕事は、刺激的で、自由で、ダイナミック。
でも一方で、不確実で、孤独で、競争が激しい
誰もが自由に動くぶん、誰もが自分の価値を証明し続けなければならない世界でもあった。


日本の「チーム主義」、アメリカの「個人主義」

どちらがいい?じゃなく、どう使い分けるか

日本のチーム文化は、やっぱり優れていると思う。
空気を読み、助け合い、誰かの失敗を全員でカバーする。
でもその反面、「出る杭は打たれる」「黙っていることが美徳」といった、抑圧的な空気もある。

一方でアメリカは、「発言する人がリーダーになり」「成果が出せなければ、優しく切られる」。
自分を前に出す人が有利で、自分の価値をアピールできなければ、存在感が消えていく

どちらが良い、悪いではなく、
僕がたどり着いたのは、「両方の文化をハイブリッドで使う」ことだった。


僕が見つけた「仕事の3つの軸」

ここで、アメリカで働くうちに僕が大切にするようになった、仕事を選ぶときの3つの軸を紹介したい。

① Skill(スキルが伸びるか)

→ その仕事は、自分の専門性を次のレベルに引き上げてくれるか?
→ 新しい技術や設計経験が積めるか?

② Impact(社会や誰かに価値を届けられるか)

→ ただのコーディングではなく、「誰かの課題解決」に直結しているか?
→ UIの改善がユーザーの体験をどう変えているかを実感できるか?

③ Life(自分と家族の人生にとって意味があるか)

→ その働き方は、自分や家族の時間を尊重しているか?
→ 単に年収が高いだけの仕事になっていないか?

この3つが揃ったとき、僕は本当にモチベーション高く、誇りを持って働けるようになった。
どれか一つが欠けていても、長期的には満たされないと知った。


C# WPFの「価値」は自分で定義するものだった

よく聞かれる。

「今どきWPFって、もう古いんじゃないの?」
「Web系に行かなくて大丈夫?」
「クラウドとかAIの方が未来あるよね?」

たしかに、WPFは最新技術じゃない。トレンドでもない。
でも、それは「だから価値がない」ということではなかった。

現場には、**“壊れてほしくない、ずっと動き続けなきゃいけないUI”**がたくさんある。
病院の診療端末、空港の表示システム、製造ラインの管理画面、行政の受付端末…。
そういったところでは、WPFの堅牢性とパフォーマンスの安定性が今でも武器になる。

重要なのは、「流行に乗ること」じゃなくて、
**「自分の技術をどう活かして、誰かの課題を解決できるか」**だった。


僕にとっての「海外で働く意味」

英語で働くということは、自分の考えを言語化するトレーニングの連続だった。
「何をしたのか」「なぜそうしたのか」「それで何が変わったのか」
──この3つを、毎日のように問われる。

日本で働いていた頃は、空気と暗黙知で済んでいた。
でも、アメリカでは言わなきゃゼロ、見せなきゃ無いのと同じ

だからこそ、自分の仕事を客観視して、再定義する力が磨かれた。
そして、国籍や文化の違うチームメンバーと本気でぶつかり合い、時には衝突もしながら、本質的な信頼関係を築く経験ができた。


最後に:これから海外を目指すエンジニアへ

僕が経験してきたことは、たしかに個人的なストーリーだ。
でも、そこには共通するヒントもあると思っている。

  • 「英語が完璧じゃなくても、伝えようとする姿勢が一番大事」
  • 「古い技術でも、極めれば武器になる」
  • 「黙っていても評価される、なんて幻想は捨てよう」
  • 「キャリアは、”どこで働くか”より、”どう働くか”」

世界は広い。働き方も、人生の選択肢も、無限にある。
だけどその広さに飲まれず、自分の価値をちゃんと理解して、言葉にして、届ける力を持てれば、
きっとどこにいても、「自分らしく働く」ことができる。

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