──人間関係の罠としての「承認欲求」
私たちは、生まれ落ちた瞬間から他者との関係性の中で生きていきます。
母親の笑顔に安心し、教師の評価に一喜一憂し、SNSの「いいね」に心が左右される。現代社会は情報の洪水と共に、“他人のまなざし”が肥大化した時代です。
承認欲求──それは本来、人が社会的存在として生きるうえで欠かせない動機の一つです。マズローの欲求階層説にもあるように、「承認」は人間の基本的欲求の一つとして位置づけられています。誰かに認められたい。必要とされたい。その願いが、私たちの行動を後押しし、努力を促すこともあります。
しかし、この欲求は時として私たちを奴隷にします。他人に認められなければ価値がないと思い込むと、行動の主語が「私」ではなく「彼ら」になってしまうのです。誰かの評価に怯え、自分らしさを見失い、「良く思われたい自分」を演じ続ける人生。それは、他人の人生を生きているのと同じです。
ここに、現代の多くの苦しみの根源があります。SNSでの承認、職場での評価、家庭内での役割──あらゆる場面で「認められること」が絶対的な意味を持ってしまっている。このような承認依存の構造のなかで、人は真の自己を見失い、他者に振り回される人生を生きてしまう。
では、私たちはこの承認欲求から自由になることができるのでしょうか? ここで登場するのが、アドラー心理学の革命的な思想、『嫌われる勇気』です。
──「嫌われる勇気」という革命
アドラー心理学の中核的な思想の一つが、「人は目的によって行動する」という目的論です。私たちは過去の経験に縛られて生きているのではなく、「どうなりたいか」という目的を持って今の行動を選んでいる。これは、過去のトラウマに原因を求めるフロイト的な因果論とは真逆の考え方です。
この思想が示唆するのは、承認欲求もまた、「人に認められたい」という目的に基づいて、自ら選んでいるということです。つまり、「承認を求めることで自分の価値を確認しようとしている」のであり、それをやめるという選択もできるのです。
『嫌われる勇気』はこの選択を徹底的に説きます。他人に好かれるかどうかは「他人の課題」であり、自分がどうあるかは「自分の課題」である。この「課題の分離」によって、私たちは他者からの評価に振り回されることなく、自らの人生に責任を持って生きることができる。
しかし、この思想は私たちに深い不安ももたらします。なぜなら、承認を手放すことは、「孤独」と向き合うことでもあるからです。他者に依存せず、自分自身の価値を信じて生きる。その道のりは、まるで暗闇の中を手探りで進むような感覚を伴います。
それでもなお、「嫌われる勇気」は希望を示します。評価されることを生きがいにするのではなく、「自分がどう在りたいか」に立脚することで、私たちは初めて自由になることができるのです。
──「今」に生きるとは何か:自己肯定感とマインドフルネスの交差点
承認欲求を手放すことは、単に「他人の評価を気にしないようにする」ことではありません。それは、「今この瞬間」に生きることの実践でもあります。
ここで重要になるのが、マインドフルネスの考え方です。マインドフルネスとは、「今ここ」に意識を向け、評価や判断を手放し、ただありのままを観察する心の態度です。これは仏教にルーツを持ち、現代心理学や脳科学の研究でもその効果が明らかになってきています。
脳科学的には、私たちの脳は常に過去と未来を行き来しています。過去の後悔、未来の不安、他者からの評価──こうした雑念が、前頭前野(PFC)を過剰に働かせ、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を高めます。逆に、「今」に集中しているとき、私たちの脳は報酬系(ドーパミン回路)と連動し、心地よさや安心感を感じる神経活動が促進されます。
承認欲求とは、ある意味で未来志向の不安の産物です。「この行動をすれば、誰かに認められるだろう」「この発言をすれば、好かれるだろう」──こうした予測が、私たちの注意を「今」から引き離していく。
だからこそ、承認欲求から解放されるためには、「今」に注意を戻す訓練が必要なのです。自己肯定感とは、他者の評価によって得られるものではなく、「今の自分にOKを出す力」です。そしてそれは、マインドフルネス的な態度を持つことで徐々に育まれていく。
「私はここにいていい」
「私はこの瞬間を生きている」
この実感が、他者の視線から自分を解放し、自己への信頼を深めていくのです。
──渇望からの解放と、新たなコミットメント
最後に、もう一歩深く踏み込みましょう。
承認欲求を手放すということは、何かを「諦める」ことではありません。それは、より本質的な「コミットメント」への道を開くことです。ここで言うコミットメントとは、目標達成の意思というよりも、「自分自身に深く関わる」覚悟のようなものです。
仏教では「渇愛(タンハー)」という言葉があります。これは、満たされない何かを求め続ける執着の心であり、苦しみの原因とされます。承認欲求もまた、他者によって満たされようとする「渇愛」です。
それに対して、本質的なコミットメントは「自らが主体となって、今ここに関わる」行為です。他者からの評価を待つのではなく、「今この瞬間に、自分がどう関わるか」に意識を向ける。この転換が、人生の質を根底から変えるのです。
このような在り方は、心理学でいう「自己実現」にも通じます。それは、自分の内的基準に従って生きることであり、他者からの承認とは独立した幸福感の獲得です。そして、それは同時に、他者との関係においても誠実であることを可能にします。なぜなら、他人の期待に応えるためではなく、「共に在ること」自体を目的とするからです。
自己と世界への深いコミットメント。
それは、「今、ここで、私は私である」という確かな感覚から始まります。
「嫌われる勇気」を超えて、私たちは新たな地平を目指すことができるのです。
──その地平とは、他者の評価に依存しない、深く静かな「自由」と「つながり」の世界です。

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